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法窓夜話
ほうそうやわ
作品ID1872
副題02 法窓夜話
02 ほうそうやわ
著者穂積 陳重
文字遣い新字新仮名
底本 「法窓夜話」 岩波文庫、岩波書店
1980(昭和55)年1月16日
入力者高橋真也
校正者伊藤時也
公開 / 更新2001-08-20 / 2014-09-17
長さの目安約 275 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一 パピニアーヌス、罪案を草せず



 士の最も重んずるところは節義である。その立つやこれに仗り、その動くやこれに基づき、その進むやこれに嚮う。節義の存するところ、水火を踏んで辞せず、節義の欠くるところ、王侯の威も屈する能わず、猗頓の富も誘うべからずして、甫めてもって士と称するに足るのである。学者は実に士中の士である。未発の真理を説いて一世の知識を誘導するものは学者である。学理の蘊奥を講じて、天下の人材を養成するものは学者である。堂々たる正論、政治家に施政の方針を示し、諤々たる[#挿絵]議、万衆に処世の大道を教うるは、皆これ学者の任務ではないか。学者をもって自ら任ずる者は、学理のためには一命を抛つの覚悟なくして、何をもってこの大任に堪えられよう。学者の眼中、学理あって利害なし。区々たる地位、片々たる財産、学理の前には何するものぞ。学理の存するところは即ち節義の存するところである。
 ローマの昔、カラカラ皇帝故なくして弟ゲータを殺し、直ちに当時の大法律家パピニアーヌス(Papinianus)を召して、命じて曰く、
朕、今ゲータに死を賜えり。汝宜しくその理由を案出して罪案を起草すべし。
と、声色共に[#挿絵]しく、迅雷まさに来らんとして風雲大いに動くの概があった。これを聴いたパピニアーヌスは儼然として容を正した。
既に無辜の人を殺してなお足れりとせず、更にこれに罪悪を誣いんとす。これ実に第二の謀殺を行うもの。殺親罪を弁護するはこれを犯すより難し。陛下もし臣の筆をこの大悪に涜さしめんと欲し給わば、須らくまず臣に死を賜わるべし。
と答え終って、神色自若。満廷の群臣色を喪い汗を握る暇もなく、皇帝震怒、万雷一時に激発した。
咄、汝腐儒。朕汝が望を許さん。
暴君の一令、秋霜烈日の如し。白刃一閃、絶世の高士身首その処を異にした。
 パピニアーヌスは実にローマ法律家の巨擘であった。テオドシウス帝の「引用法」(レキス・キタチオニス)にも、パピニアーヌス、パウルス、ウルピアーヌス、ガーイウス、モデスチーヌスの五大法律家の学説は法律の効力ありと定め、一問題起るごとに、その多数説に依ってこれを決し、もし疑義あるか、学説同数に分れる時は、パピニアーヌスの説に従うべしと定めたのを見ても、当時の法曹中彼が占めたる卓然たる地歩を知ることが出来よう。しかしながら、吾人が彼を尊崇する所以は、独り学識の上にのみ存するのではない。その毅然たる節義あって甫めて吾人の尊敬に値するのである。碩学の人は求め得べし、しかれども兼ぬるに高節をもってする人は決して獲易くはない。西に、正義を踏んで恐れず、学理のためには身首処を異にするを辞せざりしパピニアーヌスあり。東に、筆を燕王成祖の前に抛って、「死せば即ち死せんのみ、詔や草すべからず」と絶叫したる明朝の碩儒方孝孺がある。いささかもって吾人の意を強くするに足るの…

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