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鳥箱先生とフウねずみ
とりばこせんせいとフウねずみ |
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作品ID | 1947 |
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著者 | 宮沢 賢治 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「新修宮沢賢治全集 第八巻」 筑摩書房 1979(昭和54)年5月15日 |
入力者 | 林幸雄 |
校正者 | 久保格 |
公開 / 更新 | 2002-11-11 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 8 ページ(500字/頁で計算) |
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あるうちに一つの鳥かごがありました。
鳥かごと云ふよりは、鳥箱といふ方が、よくわかるかもしれません。それは、天井と、底と、三方の壁とが、無暗に厚い板でできてゐて、正面丈けが、針がねの網でこさへた戸になってゐました。
そして小さなガラスの窓が横の方についてゐました。ある日一疋の子供のひよどりがその中に入れられました。ひよどりは、そんなせまい、くらいところへ入れられたので、いやがってバタバタバタバタしました。
鳥かごは、早速、
「バタバタ云っちゃいかん。」と云ひました。ひよどりは、それでも、まだ、バタバタしてゐましたが、つかれてうごけなくなると、こんどは、おっかさんの名を呼んで、泣きました。鳥かごは、早速、「泣いちゃいかん。」と云ひました。この時、とりかごは、急に、ははあおれは先生なんだなと気がつきました。なるほど、さう気がついて見ると、小さなガラスの窓は、鳥かごの顔、正面の網戸が、立派なチョッキと云ふわけでした。いよいよさうきまって見ると、鳥かごは、もう、一分もじっとしてゐられませんでした。そこで
「おれは先生なんだぞ。鳥箱先生といふんだぞ。お前を教育するんだぞ。」と云ひました。ひよどりも仕方なく、それからは、鳥箱先生と呼んでゐました。
けれども、ひよどりは、先生を大嫌ひでした。毎日、じっと先生の腹の中に居るのでしたが、もう、それを見るのもいやでしたから、いつも目をつぶってゐました。目をつぶっても、もしか、ひょっと、先生のことを考へたら、もうむねが悪くなるのでした。ところが、そのひよどりは、ある時、七日といふもの、一つぶの粟も貰ひませんでした。みんな忘れてゐたのです。そこで、もうひもじくって、ひもじくって、たうとう、くちばしをパクパクさせながら、死んでしまひました。
鳥箱先生も
「あゝ哀れなことだ」と云ひました。その次に来たひよどりの子供も、丁度その通りでした。たゞ、その死に方が、すこし変ってゐただけです。それは腐った水を貰った為に、赤痢になったのでした。
その次に来たひよどりの子供は、あんまり空や林が恋しくて、たうとう、胸がつまって死んでしまひました。
四番目のは、先生がある夏、一寸油断をして網のチョッキを大きく開けたまゝ、睡ってゐるあひだに、乱暴な猫大将が来て、いきなりつかんで行ってしまったのです。鳥箱先生も目をさまして、
「あっ、いかん。生徒をかへしなさい。」と云ひましたが、猫大将はニヤニヤ笑って、向ふへ走って行ってしまひました。鳥箱先生も
「あゝ哀れなことだ。」と云ひました。しかし鳥箱先生は、それからはすっかり信用をなくしました。そしていきなり物置の棚へ連れて来られました。
「ははあ、こゝは、大へん、空気の流通が悪いな。」と鳥箱先生は云ひながら、あたりを見まはしました。棚の上には、こはれかゝった植木鉢や、古い朱塗りの手桶や、そんながらくた…