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白い翼
しろいつばさ
作品ID1966
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第三巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年3月20日初版
初出「近代風景」1927(昭和2)年2月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2002-10-25 / 2014-09-17
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 或る夕方、雄鳩が先に小屋へ入った。片隅へ遠慮ぶかく落付きながら彼は雌を呼んだ。雌が来た。入口で一寸首を傾け内部を覗いてから棲り木に移った。彼等は両方からより添って互の体を軟く押しつけ合った。
 外はまだ明るかった。特に西空はたっぷり夕陽の名残が輝いて、ひらいた地平線の彼方に乾草小屋のような一つの家屋の屋根と、断れ断れな重い雲の縁とを照し出していた。櫟の金茶色の並木は暖い反射を燦かしたが、下の小さい流れの水はもう眠く薄らつめたく鈍った。野末の彼方此方から、人間が労働を終ろうとする轍の音や家畜の唸り声が微かな夕靄とともに聞えた。
 ここは、然し静かで、居心地よくて極く早い夜の和らぎが満ちている。雄鳩は不安なき眠りの悦びを感じながら優しく、
「クウウウウウ」
と喉を鳴らした。雌は繊い脚をあげ耳のわきをしとやかに掻いた。そして、一層ぴったり雄のそばによった。二羽の雛鳩であった時からこのように頭をくっつけ合って幾百の夜を眠った、その眠りを眠ろうとするのであった。

 夜中に、雄鳩は不図異様な感じを以て目を醒した。雌は棲り木で彼の隣りにいなかった。下におりている。カサカサ羽づくろいをする軽い懐しい音がそこからした。その時、小屋の棧の隙間をとおして鋭い電燈の光が射し込んだ。雄鳩は雌の白い姿を認めた。棲り木から首をのばし彼はそっと嘴で何故か自分の側にいぬ妻を突ついた。再びカサカサ身じろぎをし、雌は、
「クククウウウウウウ」
とゆるやかに啼いた。四辺の秋の夜の通りその声は情がこもっていた。雄鳩は悲しさと恋心の混り合った感情に揺られ、猶も自分の傍に来させようと、コツコツ・コツコツ嘴で棲り木をたたいた。時々羽毛の触る微かなカサカサいう音がするだけで、雌は終に彼の傍に戻って来なかった。

 黎明が鳩の目を明るくした。雄鳩は大きな悲しみを見出し、鳴きながら脚を高くあげその辺を歩き廻った。夜のうちに雌は死んだ。

 雄鳩は雌の死んだことを忘れた。昼間、太陽が野天に輝やいて、遠くの森が常緑の梢で彼を誘惑する時、雄鳩は白い矢のように勇ましく其方へ翔んだ。けれども夕方が地球の円みを這い上って彼の本能に迫る時、雄鳩は急な淋しさを覚えた。彼は畑や、硝子をキラキラ夕栄えさせる温室の陰やらを気ぜわしく鳴きながら歩き廻った。
「ゴロッホーゴロッホー」
 彼は雌を熱心にさがし求めた。水蓮が枯れて泥ばかりの水鉢の奥から、霜よけの藁まで嘴で突いた。彼は深い孤独の悲しみと恋しさに燃えながら猶あらゆる鳴きようで妻を呼んだ。次第に夕闇が濃くなると、彼は鳴きつつ小屋に一人入った。さがし疲れて、雄鳩は幾百の夜の思い出の中に眠った。が、眠りづらく、彼は屡々目がさめた。夢中で優しく体をすりよせたが、そこに雌はいず小屋の荒い羽目があった。

 雄鳩は愕いて鳴いた。雄鳩の淋しげなのを見て、人が鏡を小屋の横にたてかけた。午後…

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