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鏡餅
かがみもち
作品ID1989
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第四巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年9月20日
初出「新潮」1934(昭和9)年4月号
入力者柴田卓治
校正者松永正敏
公開 / 更新2002-06-03 / 2014-09-17
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 正面のドアを押して入ると、すぐのところで三和土の床へ水をぶちまけ、シュッシュ、シュッシュと洗っている白シャツ、黒ズボンの若い男にぶつかりそうになった。サエは小使いだと思ったらそうではなく、そういう風体でそのへんにハタキをかけたり、椅子を動かしたり動きまわっているのは、制服の上衣をぬいだ巡査であった。
 大きい包みを下げて二階へ上って見ると、ここもまたコンクリートの床は草履のふみどころもないほど水びしゃびしゃで、特高室のドアがあけはなされてある。
 入って行くと、テーブルの上に脚を空に向けて椅子が積んである。特高主任は禿げた頭に頬かぶりをし、鼻と口とを手拭いでつつんでいるし、もう一人別な背の高いのが、
「これもとっちゃった方がいいですね」
と云いながら顎を上向け、よごれた指のあとをつけまいと小指をピンとはねて自分のダブル・カラーをはずしかけている。特高室の誰も彼も上着をぬぎ、チョッキにワイシャツ姿である。
 その日は暮の三十一日で警察ではどこでもかしこでも正月の支度だった。
 サエは、
「おやおやわるいところへ来た」
 そう云いながら、室内に入り、
「――どうでしょう――まだ駄目ですか」
 もっている風呂敷包みを椅子の逆さにのっているテーブルの端に置いた。
「――本庁へきいて下さい。こっちでやったことじゃないんだからね。こっちじゃ分らないから――行きましたか」
「こっちできいて駄目だと云うとき、私の方でヤイヤイ云ってもききめがないと思うんです……もう五日も経つんだからいいんじゃないかしら――着物ですからね、口を利くわけじゃないし……」
 すると、わきから黒チョッキの男が、
「誰へ差入れたいんです?」
ときいた。
「石崎です」
「本庁へききなさい、本庁がやっていることで、こっちじゃわかりませんよ」
 急にパタパタ、サエの髪の近くでハタキをかけはじめた。夫の石崎が検束されたことを新聞でサエがはじめて知ったのは四日前の夜であった。直ぐその晩行ったが突きかえされ、翌日も突きかえされこれで三度目なのであった。
「じゃ、ちょっと待って下さい」
 主任が出て行った。あとの連中は盛に大掃除をはじめ、
「ヤ、御免」
とか、
「ごみがかかるよ」
とか、コートを着てそこに立っているサエのまわりをわざと邪魔そうにまわった。
 主任は間もなく帰って来て、
「どうして、なかなかそれどころじゃないということだから、私の方では何とも出来ない」
 目にこそ見えないが、両手で背中を押し出されるような風に、サエは特高室を出た。
 階段のおり口に窓があって、そこから警察の内庭と鉄格子のはまった留置場の三つの窓とが見下ろせた。包みを窓枠にのせ、それに胸をよせかけてサエは暫く下を眺めていた。内庭も大晦日気分であった。ハッピを着た職人が三四人で何かの空箱に腰かけ焚火をかこんで、昼休みをしている。上衣をぬ…

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