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杉垣
すぎがき |
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作品ID | 2002 |
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著者 | 宮本 百合子 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「宮本百合子全集 第五巻」 新日本出版社 1979(昭和54)年12月20日 |
初出 | 「中央公論」1939(昭和14)年11月号 |
入力者 | 柴田卓治 |
校正者 | 原田頌子 |
公開 / 更新 | 2002-06-05 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 31 ページ(500字/頁で計算) |
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一
電気時計が三十分ちかくもおくれていたのを知らなかったものだから、二人が省線の駅で降りた時分は、とうにバスがなくなっていた。
駅前のからりとしたアスファルト道の上に空の高いところから月光があたっていて、半分だけ大扉をひきのこした駅から出た疎らな人影は、いそぎ足で云い合せたように左手の広い通りへ向って黒く散らばって行く。
「どうする、歩くかい」
「そうしましょうよ、ね。照子抱いて下されるでしょう?」
「じゃ、峯子このごたごた持て」
嫂がかしてくれた薄い毛糸ショールでくるんだ照子を慎一が抱きとり、峯子は慎一のその肱に軽く自分の白い服につつまれている体をふれさせるようにして歩調を揃えながら、一緒に山登りなどもする若い夫婦らしい闊達な足どりで歩きはじめた。二人は駅前からのバスで、十ほどの停留場を行った奥に住んでいるのであった。
「かぜひかないかしら。少し心配ね、こんなにおそくなって」
「大丈夫だろう」
ちょっと歩調をゆるめて慎一は眠っている照子をもち上げるようにし、顔をもって行って小さい娘の鼻に自分の鼻をさわらした。
「大変あったかい鼻の頭をしているよ」
暫く行くと、歩速の整った彼等の脚が、先へ行く三四人の学生の一団に追いついた。結婚祝いの帰途でもあるらしく、少しばかり酔っている青年たちは歩道一杯の横列に制服の腕をくみ合わせ、罪のない高声を、
たかさごや たかさごやア
この浦ふうねに帆をあげて
高砂や たかさごやア
と祝婚行進曲の節をもじった合唱で、のしているのであった。
自然、車道の方へあふれてその一団を通りこしながら、峯子はふっと笑いののぼって来る気がした。陽気な合唱は若さと無邪気さを溢らしつつ、しかし誰もその先の文句は発明していないと見えて、いつまでも高砂やアの繰返しへ戻りながら、その声は、だんだんうしろに遠のき、やがて月の光と町の鈍い軒燈の混りあったような街角のあたりで消えてしまった。
道のりの三分の二も来るとどっちからともなく足どりがゆるやかになった。
「煙草あがりたいのじゃないの、代りましょうか」
今度は峯子が子供をうけとると足どりは益々ゆるやかになり、慎一はすこし顔を仰向けるようにして心持よさそうに煙草の烟をはきながら歩いていたが、いきなり何の前おきもなく、
「どうだい峯子、おれの信用はなかなか大したものだろう」
と云った。その声に笑いがふくまれている。
「信用?……ああ。それは、だってあたり前だわ」
「ひとつ、君の兄さんのすすめにしたがって、その何とか総務係長というのになって見ようか……」
それには答えず、しばらく黙ったまま歩いていた峯子は、どこやら歎息のまじった調子で、
「兄さんはあなたが御贔屓なのねえ」
と云った。
「うちが女の子ばっかりだから無理もないようなものだけれど……。でもね、私お兄さ…