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播州平野
ばんしゅうへいや
作品ID2013
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第六巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年1月20日
初出「新日本文学」(第1~11節)、「潮流」(第16・17節)
入力者柴田卓治
校正者松永正敏
公開 / 更新2002-10-04 / 2014-09-17
長さの目安約 217 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

        一

 一九四五年八月十五日の日暮れ、妻の小枝が、古びた柱時計の懸っている茶の間の台の上に、大家内の夕飯の皿をならべながら、
「父さん、どうしましょう」
ときいた。
「電気、今夜はもういいんじゃないかしら、明るくしても――」
 茶の間のその縁側からは、南に遠く安達太郎連山が見えていた。その日は午後じゅうだまって煙草をふかしながら山ばかり眺めていた行雄が、
「さあ……」
 持ち前の決して急がない動作でふり向いた。そして、やや暫く、小枝の顔をじっと見ていたが、
「もうすこしこのまんまにして置いた方が安全じゃないか」
と云った。
「――そうかもしれないわね」
 小枝は従順に、そのまま皿を並べつづけた。
 台の端に四つになる甥の健吉を坐らせ、早めの御飯をたべさせていたひろ子は、この半分息をひそめたような、驚愕から恢復しきれずにいる弟夫婦の問答を、自分の気持にも通じるところのあるものとしてきいた。
 東北のその地方は、数日来最後の炎暑が続いていて、ひどく暑かった。粘土質の庭土は白く乾きあがって深い亀裂が入った。そして毎朝五時すぎというと紺碧の燦く空から逆落しのうなりを立てて、大編隊の空襲があった。
 前夜も、その前の晩もそうであったように、八月十四日の夜は、十一時すぎると空襲警報が鳴り、午前四時すぎ迄、B29数百機が、幾つもの編隊となって風のない夏の夜空をすきまもなく通過した。おぼつかないラジオの報道は、目標は秋田なるが如しと放送していたが、それを信じて安心しているものは一人もなかった。富井の一家が疎開してきて住んでいる町の軍事施設や停車場が猛烈な空爆をうけたとき、空襲警報のサイレンは、第一回爆撃を蒙って数分してから、やっと鳴った始末であった。
 十四日の夜は、行雄とひろ子とがまんじりともしないで番をした。壕に近い側の雨戸は、すっかりくり開け、だまって姉弟が腰かけている縁側のむこうには、おそく出た月の光で、ゆるやかに起伏する耕地がぼんやり見えた。米軍機の通過する合間を見ては、町の警防団が情勢を連呼していた。そのなかに、一つ女の声が交って聞えた。細いとおる喉をいっぱいに張って、ひとこと、ひとこと、「てーきは」と引きのばして連呼する声を聴いていると、ひろ子は悲しさがいっぱいになった。低く靄がこめている藷畑の上をわたって、大きい池のあっちから、その女の声はとぎれとぎれにきこえた。責任感でかすかにふるえているかと思うその中年の女の声は、ひろ子に田舎町のはずれに在る侘しいトタン屋根の棲居を思いやらせた。古びた蚊帳の中で汗をかきかき前後不覚に眠ってしまった何人かの子供らの入り乱れた寝相と、一人の婆さまの寝顔とが思いやられた。その家には、たしかに男手が無いのだ。
 三人の子供をつれて小枝が横になっている蚊帳をのぞくと、どんなに足音を忍ばせて近づいても必ず小枝は、
「…

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