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![]() じゅうさんじ |
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作品ID | 2059 |
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原題 | The Devil in the Belfry |
著者 | ポー エドガー・アラン Ⓦ |
翻訳者 | 森 鴎外 Ⓦ / 森 林太郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「鴎外選集 第十五巻」 岩波書店 1980(昭和55)年1月22日 |
初出 | 「趣味」六ノ四、1912(大正元)年10月1日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | もりみつじゅんじ |
公開 / 更新 | 2001-11-20 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 16 ページ(500字/頁で計算) |
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オランダのスピイスブルク市が世界第一の立派な都会だと云ふことは、誰でも知つてゐる。併しもう遺憾ながら、世界第一の立派な都会だつたと云はなくてはならなくなつた。
あの市は本街道を離れて、謂はば非常な所にあるのだから、読者諸君のうちであそこへ往つたことのある人は少からう。あそこを知らない人に、あの特色のある所を想像させるために、少し精しく土地の事を話すことは無益ではあるまい。己はこなひだあの土地にあつた重大な災難の話をして、あそこの市民に対する同情を広く喚起したいと思つてゐるのだから、その話の前置として己の説明は一層役に立つ筈である。さて己の目的としてゐるその災難の事だが、その話をすると云ふ責任を己が負ふ以上は、必ず力の限を尽してそれを果たすだらうと云ふこと、正しい古文書を比較して、自己の良心を満足させるやうに細密に事実を考へて、苟も歴史家たる身分に負かないやうに、公平無私にその話をするだらうと云ふことには、恐らくは誰一人疑を挾むものはあるまい。
己は金石文字や古文書を精しく調べて、先づあのスピイスブルク市が始て興つた時、矢張現今の地点を占めてゐたもので、それから後少しも移動したものでないと云ふことを確言することが出来る。併しその創立がいつの事であつたかと云ふことは、己も遺憾ながら或る不定の断案を以て答へるより外無い。兎に角非常に遠隔した時代の事だから、我々が溯つて計算し得る時代の最大距離に於いて、あの市は創立せられたのだと丈は己が明言しても好からう。
そこでスピイスブルクと云ふ地名の起原だが、これも矢張遺憾ながら十分に説明することが出来ない。臆説は種々に立てられてゐる。中にはいかにも巧妙で、緻密で、博識の言らしいのがある。中には又それの反対だと思はれるのもある。併しその中でどれ一つ十分の根拠を有してゐると認めて好いものは無い。已むことなくんば、一説を挙げよう。それはドイツの学者リンド氏の説で、イギリスの学者ビイフ氏の説も略それと一致してゐる。それはかうである。スピイスは槍である。ブルクは城である。あの市で城らしい建物と云つては、議事堂が一棟しか無いが、その議事堂の塔に或る時雷が落ちた。その落ち工合が丁度上から槍で衝いたやうであつたことを思ふと、此語源説が愈尤らしく聞えて来る。併しこんな重大な問題にうかと断案を下して、跡で恥を掻きたくもないから、己はなんとも言はずに置かう。読者が若し此問題を深く研究しようと思ふなら、有名なオランダの大学教授ホオルコツプ氏のオラチウンクレエ・デ・レエブス・プレテリチスと云ふ本を見るが好からう。それから今一つ参考して好い本は、フアン・デル・ドムヘエト氏のデ・デレワチオニブスの二十七ペエジから五千零十ペエジ迄である。此本は大判の紙にゴチツクで印刷してあつて、骨子になつてゐる語には朱と墨とで標がしてある。丁附は無い。此本にはフア…