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わらい
作品ID2072
原題Lechen(独訳)
著者アルチバシェッフ ミハイル・ペトローヴィチ
翻訳者森 鴎外 / 森 林太郎
文字遣い新字旧仮名
底本 「鴎外選集 第十五巻」 岩波書店
1980(昭和55)年1月22日
初出1910(明治43)年9月1日「東亜之光」五ノ九
入力者tatsuki
校正者ちはる
公開 / 更新2002-03-05 / 2014-09-17
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 窓の前には広い畑が見えてゐる。赤み掛かつた褐色と、緑と、黒との筋が並んで走つてゐて、ずつと遠い所になると、それが入り乱れて、しほらしい、にほやかな摸様のやうになつてゐる。この景色には多くの光と、空気と、際限のない遠さとがある。それでこれを見てゐると誰でも自分の狭い、小さい、重くろしい体が窮屈に思はれて来るのである。
 医学士は窓に立つて、畑を眺めてゐて、「あれを見るが好い」と思つた。早く、軽く、あちらへ飛んで行く鳥を見たのである。そして「飛んで行くな」と思つた。鳥を見る方が畑を見るより好きなのである。学士は青々とした遠い果で、鳥が段々小さくなつて消えてしまふのを、顔を蹙めて見てゐて、自ら慰めるやうに、かう思つた。「どうせ遁れつこはないよ。こゝで死なゝければ余所で死ぬるのだ。死なゝくてはならない。」
 心好げに緑いろに萌えてゐる畑を見れば、心持がとうとう飽くまで哀れになつて来る。「これはいつまでもこんなでゐるのだ。古い古い昔からの事だ。冢穴の入口でも、自然は永遠に美しく輝いてゐるといふ詞があつたつけ。平凡な話だ。馬鹿な。こつちとらはもうそんな事を言ふやうな、幼稚な人間ではない。そんな事はどうでも好い。己が物を考へても、考へなくても、どうでも好い」と考へて、学士は痙攣状に顔をくしや/\させて、頭を右左にゆさぶつて、窓に顔を背けて、ぼんやりして部屋の白壁を見詰めてゐた。
 頭の中には、丁度濁水から泡が水面に浮き出て、はじけて、八方へ散らばつてしまふやうに、考へが出て来る。近頃になつてかういふことが度々ある。殊に「今日で己は六十五になる、もう死ぬるのに間もあるまい」と思つた、あの誕生日の頃から、こんなことのあるのが度々になつて来た。どうせいつかは死ぬる刹那が来るとは、昔から動悸をさせながら、思つてゐたのだが、十四日前に病気をしてから、かう思ふのが一層切になつた。「虚脱になる一刹那がきつと来る。その刹那から手前の方が生活だ。己が存在してゐる。それから向うが無だ。真に絶待的の無だらうか。そんな筈はない。そんな物は決してない。何か誤算がある。若し果して絶待的の無があるとすれば、実に恐るべき事だ。」かうは思ふものゝ、内心では決して誤算のない事を承知してゐる。例の恐るべき、魂の消えるやうな或る物が丁度今始まり掛かつてゐるのだといふことを承知してゐる。そして頭や、胸や、胃が痛んだり、手や足がいつもより力がなかつたりするたびに、学士は今死ぬるのだなと思ふことを禁じ得ない。死ぬるといふことは非常に簡単なことだ。疑ふ余地のないことだ。そしてそれゆゑに恐るべき事である。
 学士は平生書物を気を附けては読まない流儀なのに、或る時或る書物の中で、ふいとかういふ事を見出した。自然の事物は多様多趣ではあるが、早いか晩いか、一度はその事物と同一の Constellation が生じて来なくては…

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