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斬られたさに
きられたさに
作品ID2123
著者夢野 久作
文字遣い新字新仮名
底本 「夢野久作全集10」 ちくま文庫、筑摩書房
1992(平成4)年10月22日
入力者柴田卓治
校正者篠原陽子
公開 / 更新2001-04-07 / 2014-09-17
長さの目安約 42 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「アッハッハッハッハッ……」
 冷めたい、底意地の悪るそうな高笑いが、小雨の中の片側松原から聞こえて来た。小田原の手前一里足らず。文久三年三月の末に近い暮六つ時であった。
 石月平馬はフット立止った。その邪悪な嘲笑に釣り寄せられるように松の雫に濡れながら近付いて行った。
 黄色い桐油の旅合羽を着た若侍が一人松の間に平伏している。薄暗がりのせいか襟筋が女のように白い。
 その前後に二人の鬚武者が立ちはだかっていた。二人とも笠は持たず、浪人らしい古紋付に大髻の裁付袴である。無反りの革柄を押えている横肥りの方が笑ったらしい。
「ハッハッハッ。何も怖い事はない。悪いようにはせんけんで一所に来さっせえちうたら……」
「関所の抜け道も教えて進ぜるけに……」
「……エッ……」
 若侍は一瞬間キッとなったが軈て又ヒッソリと低頭れた。凝と考えている気配である。
「ハハ。贋手形で関所は抜けられるかも知れんが吾々の眼の下は潜れんば……のう……」
「そうじゃそうじゃ……のうヨカ稚児どん。そんたは男じゃなかろうが……」
「……も……もっての外……」
 と若侍は今一度気色ばんだが、又も力なく頭を下げた。隙を窺っているようにも見えた。
 ……フウン。肥後侍かな……。
 と平馬は忍び寄りながら考えた。
 ……いずれにしてもこの崩れかかった時勢が生んだナグレ浪人に違いない。相当腕の立つ奴が二三人で棒組む……弱い武士と見ると左右から近付いて道連れになる。佐幕、勤王、因循三派のどれにでも共鳴しながら同じ宿に泊る。馳走をするような調子で酒肴を取寄せる上に油断すると女まで呼ぶ。あくる朝はドロンを極めるというのがこの連中の定型と聞いた……歎かわしい奴輩ではある……。
 そう考えるうちに若い平馬の腕が唸って来た。
 ……自分はお納戸向きのお使番馬廻りの家柄……要らざる事に拘り合うまい……。
 とも考えたが、気の毒な若侍の姿を見ると、どうしても後へ引けなかった。黒田藩一刀流の指南番、浅川一柳斎の門下随一という自信もあった。去年の大試合に拝領した藩公の賞美刀、波の平行安の斬味見たさもあった。
 その鼻の先で鬚武者が今一度点頭き合った。
「サアサア。問答は無益じゃ無益じゃ。一所に来たり来たり。アハハハ……アハアハ……」
 女と侮ったものか二人が前後から立ち寄って来るのを若侍はサッと払い除けた。思いもかけぬ敏捷さで二三足横に飛んだと思うと、松の蔭から出て来た平馬にバッタリ行き当った。
「……アッ……」
 と叫んだ若侍が刀の柄に手をかけたが、その利腕を掴んだ平馬は、無言のまま背後に押廻わした。二人の浪人と真正面に向い合った。
「……何者ッ……」
「邪魔しおるかッ」
「名を名宣れッ」
 という殺気立った言葉が、身構えた二人の口から迸った。
「ハハ。名宣る程の用向きではないが……」
 平馬は落付いて笠を脱いだ。若侍も…

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