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![]() ゆめ |
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作品ID | 2170 |
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著者 | 吉江 孤雁 Ⓦ / 吉江 喬松 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「日本の名随筆14 夢」 作品社 1984(昭和59)年1月25日 |
入力者 | 土屋隆 |
校正者 | 久保格 |
公開 / 更新 | 2004-05-08 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 3 ページ(500字/頁で計算) |
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不圖昔の夢が胸に浮んで來た。
私は或る山へ登らうとしてゐた。禿山で、頂には樹木も無い。草花が所々懸崕の端に咲いてゐる。私の傍には二人の小兒が居た。一人は男の兒で六歳ばかり、一人は女の兒で四歳ばかり、男の兒は先きに立つて登つて行く、女の兒は私の手に縋つて歩いてゐる、不圖懸崕の頂の草花が目に入つた。
「あれ取つて頂戴な」女の兒は私に取りついて放れない。危いのを、右手で其兒を押へながら、身を曲めて、左手を伸ばし、取らうとすると、砂がほろ/\崩れて崖下へ落ちて行く。下は深い谿だ。底深く吹き上げて來る風に草花はゆら/\搖れてゐる。また、手を伸ばさうとする、が、一歩踏みはづせば其まゝ深谿へ落ちて了ふ。纔かに花を摘んだ。女の兒は悦んで其花を手にして登つて行く。
此山へ登るものは只私等三人より外に人が無いやうな氣がする、が、何人か、何人とも解らないが、私とは別れて別の途を行つた人のあるやうな氣がする。
途は下り坂になつた。凸凹の途に足が傷んでたまらない。見ると、脚下に遙か遠く、人家が立並んでゐる。薄曇の空は上から覆ひかゝるやうにしてゐるが、鐵色した塔の頂、白壁の家などが、歴々目に入る。私は立留つて眺め入つた。沈靜の色、何の物音一つ聞えて來ない。人家は並んでゐるが、其中に何人も住んでゐる人があるとも思はれない――途が少しづつ下る。と思ふと、私の傍を一人二人づつ、旅姿をした男女が通つて、傍目もせずに下つて行く。私も急いで降りようとしてゐると、後方から小足におりて來る人がある。一寸立留つて振廻つて見ると、少し隔つて若い女性が彳んでゐる。見覺えのある顏だな、と思つたが、其人は立つたまゝ動かない、おりて來ようともしない。何人だらう。私は二三歩後戻りした。「あゝ自分の妻だ!」胸の動悸は急に高まつて來た。如何樣したのだ、一所に下りて行かう、と慫めると、視線を落したまゝ動かない。小兒等は俄かに泣き出した。
二人共自分に取り縋つて、哀れな聲で、「下りて行つて頂戴よ、下りて行つて頂戴よ」顏をば私の袖へ固く押し當てて離れない。妻は猶動かない。「一所に下りて行つたらば好いだらう、此先に休場もあるから」と云つても猶動かない、疲れたやうな顏色をして靜乎と立つてゐる。「後方へ歸りませう、如何樣に嶮しくても、今迄の途なら知つてゐますから」たゞそれだけ、眼を閉ぢて動かない、冷たい風が下の方から吹いて來る。――今迄の途なら嶮しくても知つてゐる、此れから先きの途は如何なるとも判然らないと云ふのか。私は耐らなくなつた。同時に小兒等は大きな聲を擧げて泣き出した。
はつと思ふと眼が醒めた。
私には妻もなく子もない。何故夢に見た人が自分の妻であると知つたか解らない。不思議で耐らなかつた。其時の寂しさは、消えずにいつまでも胸に殘つてゐた。