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![]() じゅもくとそのは |
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作品ID | 2212 |
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副題 | 03 島三題 03 しまさんだい |
著者 | 若山 牧水 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「若山牧水全集 第七卷」 雄鷄社 1958(昭和33)年11月30日 |
入力者 | 柴武志 |
校正者 | 浅原庸子 |
公開 / 更新 | 2001-04-16 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 32 ページ(500字/頁で計算) |
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その一
伊豫の今治から尾の道がよひの小さな汽船に乘つて、一時間ほども來たかとおもふ頃、船は岩城島といふ小さな島に寄つた。港ともいふべき船着場も島相應の小さなものであつたが、それでも帆前船の三艘か五艘、その中に休んでゐた。そして艀から上つた石垣の上にも多少の人だかりがあつた。一寸重い柳行李を持てあましながら、近くの人に、
『M――といふ家はどちらでせう。』
と訊くと、その人の答へないうちに、
『M――さんに行くのですか。』
と他の一人が訊き返した。同じ船から上げられた郵便局行の行嚢を取りあげやうとしてゐる配達夫らしい中年の男であつた。
『さうです。』
と答へると、彼は默つて片手に行嚢を提げ、やがて片手に私の柳行李を持ち上げて先に立つた。惶てながら私はそのあとに從つた。
二三町も急ぎ足にその男について行くと彼は岩城島郵便局と看板のかゝつてゐるとある一軒の家に寄つて私を顧みながら、
『此處です。』
と言つた。
其處のまだ年若い局長であるM――君は夙うから我等の結社に加入して歌を作つた。その頃一年あまり私は父の病氣のために東京から郷里日向の方に歸つてゐた。そのうち父がなくなり、六月の末であつたか、私は何だか寂しい鬱陶しい氣持を抱きながら上京の途についたのであつた。そしてその途中、豫ねてその樣に手紙など貰つてゐたので、九州から四國に渡り、其處から汽船に乘つてこのM――君の住む島に渡つて行つたのである。手紙の往復は重ねてゐたが、まだ逢つた事もなく、どんな職業の人であるかも知らなかつた。
M――君はたいへん喜んで、急がないならどうぞゆつくり遊んでゆく樣に、と勸めて呉れた。身體も氣持もひどく疲れてゐた時なので、言葉に甘えて私は暫く其處に滯在する事にした。M――君はその本宅と道路を中にさし向つた別莊の雨戸をあけて、
『こちらが靜かですから……』
自由に起臥する樣にと深切に氣をつけて呉れた。
M――家は島の豪家らしく、別莊などなか/\立派なものであつた。私の居間ときめられた離宅は海の中に突き出た樣な位置に建てられ、三方が海に面してゐた。肱掛窓に凭つて眺めると、ツイその正面に一つの島が見えた。その島はかなり嶮しい勾配を持つた一つの山から出來てゐて、海濱にも人家らしいものはなかつた。山には黒々と青葉が茂つてゐた。その島の蔭から延いて更に二つ三つと遠い島が眺められた。遠くなるだけ夏霞が濃くかゝつてゐた。手近の尖つた島と自分の島との間の瀬戸をば日に一度か二度、眼に立つ速さで潮流が西に行きまた東に流れた。汐に乘る船逆らふ船の姿など、私には珍しかつた。
一方縁側からは自分の島の岬になつた樣な一角が仰がれた。麓からかけて隨分の高みまで段々畑が作られて、どの畑にも麥が黄いろく熟れ、滯在してゐるうちにいつかあらはに刈られて行つた。
その頃私は或る私立大學を卒…