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樹木とその葉
じゅもくとそのは
作品ID2220
副題27 春の二三日
27 はるのにさんにち
著者若山 牧水
文字遣い旧字旧仮名
底本 「若山牧水全集 第七卷」 雄鷄社
1958(昭和33)年11月30日
入力者柴武志
校正者林幸雄
公開 / 更新2001-06-13 / 2014-09-17
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

くもり日は頭重かるわが癖のけふも出で來て歩む松原
 三月××日
 千本松原を詠んだなかの一首に斯んな歌があつたが、けふもまたその頭の重い曇り日であつた。朝からどんよりと曇つてゐた。
 非常に急ぎの歌の選をやつてゐたが一向に氣が乘らない。五首見て一ぷく、十首見ては一服と煙草ばかり吸つていつの間にか晝近くなつてゐたところへ、近所の服部さんの宅から使が來た。庭の紅梅が過ぎかけたから見にいらつしやい、一緒にお晝をたべませうといふ事である。赤インキのペンをさし置いて早速立ち上つた。そして使の人の歸つて行くうしろからてく/\と歩いて行つた。
 紅梅はまだ眞盛りであつた。かなりの老木で、根もとから直ぐこま/″\と八方に枝を張り渡した、丈の餘り高くない木にいちめんに咲いてゐる。花もまた枝と同じくこま/″\と小さく繁く咲いてゐるのである。花の向うには低い杉の生垣、生垣を越しては直ぐ香貫山の麓が見える。全山こと/″\く小松原であるこの山も麓の方には稀に櫟林や萱の原がある。紅梅を見越しての麓の原はちやうどその櫟の林となつてゐた。まだ落ちやらぬその木の枯葉の背景が、その紅ゐの花をひどく靜かなものに見せてゐる樣であつた。紅梅のめぐりには尚ほ四五本の白梅が半ば散りかけて立ち竝んでゐる。
 お晝は目下伊豫の松山から來訪中で、近く此家の主人と結婚さるべき櫻井八重子孃の手料理であつた。障子をあけ放つには少々寒さのきびし過ぎる今日の日和であるだけに、温い酒の味は一層であつた。少し健康を害して暫く東京より歸郷中である主人公にはお構ひなく、私は殆んど手酌で手早く杯を重ねて行つた。
 その書齋には犬養木堂翁の額がかゝつてゐた。國民黨宣傳部理事である人の書齋に翁の筆のあるのは當然として、またその筆致のよしあしは別として、私にはその文句が目についた、たゞ大きく『不惑不懼不憂』と書いてある。その靜かな境地を思ひ浮べながらその事を言ふと、イヤそれはこれを書いた當人と思ひ合せるとなほ一層この言葉が生きて來るといふことであつた。さう答へながら服部さんは『さうだ、古奈の犬養さんの別莊に或る軸物の箱書が頼んであるんだが、食事が濟んだらそれを受取りかた/″\古奈まで遊びに行つて見ませんか。そして其處の温泉に一つ入つて來ませう、犬養さんは來てゐませんが兎に角もう出來てる筈です、行つて見ませう、八重さんも行きませんか。』
 と言ひ出した。
 一先づ沼津の町へ出て、其處から自動車で古奈に向つた。里程三四里、程なく二升庵の門前に着いた。小さな岡の根に、高田早苗、鈴木梅四郎兩氏の別莊と相竝んで名前は前から知つてゐたこの二升庵は在るのであつた。まだ附近の開けなかつた昔、米二升さへ持つて來れば誰でも泊めるといふのでこの珍しい庵の名はつけられたものださうだ。
 箱書は出來てゐた。蓋には漢文で、由來箱書などは卑俗な茶人共の爲す業である…

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