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尚書稽疑
しょうしょけいぎ
作品ID2226
著者内藤 湖南
文字遣い旧字旧仮名
底本 「内藤湖南全集 第七巻」 筑摩書房
1970(昭和45)年2月25日
初出「支那學」1921(大正10)年3月発行、第一巻第七号
入力者はまなかひとし
校正者菅野朋子
公開 / 更新2001-02-05 / 2014-09-17
長さの目安約 26 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 所謂先秦の古書は其の最初編成されてより以後、或は増竄を生じ、或は錯脱を生じ、今日現存せる篇帙が最初のものと異つて來てゐることは、何れの書にも通有の事實であつて、幾んど原形のまゝの者はないと謂ふも過言ではあるまいと思ふ。但だ其中で兩漢六朝以後に竄亂されたものは明かに之を僞書として鑑別することになつてゐるが、其以前に竄亂されたものは大抵之を看遁す傾になつてゐる。今早くより竄亂附加あることの明かなる例を擧ぐれば、例へば管子の中にて末尾の諸篇即ち牧民解以下は牧民以下の諸篇の解釋が多く、其他のものも後から附け加へられたものと思はるゝに拘らず、史記管晏傳の贊には既に此の後に附加せられた諸篇中の輕重篇を讀んだ事を書いてある。してみれば管子が最初出來た時の形から段々變化してゐたことは太史公以前からであることがわかる。又呂氏春秋に於ては序意篇が十二紀の最後に在つて、其下に八覽六論があるから、此八覽六論が後から附け加へられた跡が確に見えるが、その十二紀八覽六論を通じて、呂不韋死後の事實若くは文字と思はれる者を含んで居る。然るに今日の呂氏春秋は大體に於て漢書藝文志の時代の形と大差ない、且其中の八覽は太史公も之を見たのであつて、不韋蜀に遷されて世に呂覽を傳ふ(太史公自敍及報任少卿書)と言へるを觀れば、呂氏春秋の形も亦やはり太史公以前に變化してゐることが考へられる。それでは何故に斯かる變化が早くより一般に行はれたかといふに、章學誠は之を説明して、周末の諸子は皆各其道術を以て後世に傳ふることを主とするものであつて、苟も其術を顯はして其宗を立つるに足りさへすれば、前に援述すると後に附衍すると未だ立言の功を分つことがない(文史通義言公上)と言つてゐる。つまり當時は各學派に在りて後人が段々附け加へてゆくことが自由であつたので、斯の如き變化は僞作とか竄入とかの意味に解釋されずして、各其學派の學説の敷衍として視られたものである。或意味より言へばそれは其學派の發展であつて、これは其學派の發生した時より其發展の停止する時まで絶えず行はれてゐたものである。それでいづれかといへば九流諸子のごとく學派の發展が早く停止したものは、漢初までに其書籍の附加竄亂が止まつたのであるけれども、長く發展の繼續した儒家の六藝の如きは、却つて其移動が其後までも繼續したと見られ得るのである。現に尚書の如きは今日まで古文今文の議論が盛んに繼續してゐて、經學者多數の考は、假令古文を僞作とする者でも、その僞古文と今文との間には明かに限界を設けてあるが、其今文に關しては何等の疑を挾まないことになつて居り、所謂梅氏古文が出來ない前には、尚書には變化が無かつたやうに考へて居る。しかし實は伏生以後、兩漢の間も、尚書の本文に絶えず移動があつて、即ち漢書藝文志や王充論衡などの言ふ所によるも、其間に脱簡の補充もあれば、所謂眞古文の出現もあり、…

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