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近畿地方に於ける神社
きんきちほうにおけるじんじゃ
作品ID2251
著者内藤 湖南
文字遣い旧字旧仮名
底本 「内藤湖南全集 第九卷」 筑摩書房
1969(昭和44)年4月10日
初出史學地理學同攻會講演、1919(大正8)年8月
入力者はまなかひとし
校正者菅野朋子
公開 / 更新2001-09-26 / 2016-04-20
長さの目安約 38 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私のお話致しますのは、「近畿地方に於ける神社」と申します。近畿地方は殊に神社の大變多い處でありまして、最も古社の多い處であります。それらに就て悉く話すことは到底出來ることではありませぬ。又私は一體神社のことを深く研究した譯でも何でもありませぬが、幾らか趣味を持つたのは大分古いことで、大日本史神祇志が出版になりました頃之を讀みまして、其の中に神社に關する色々の考證が時々出て居りましたのに大變興味を感じたことがあります。其の後それに類似したもの、即ち矢張り大日本史神祇志を書かれた栗田博士が色々研究されたもの、其の他のものなどを見まして、神社の研究に幾らか興味を有つた。併し私の專門に屬することでないから、大分前にさう云ふことを考へたゞけであつて、其の後一向研究は進歩して居りませぬ。唯其の頃考へたことを一二拾つてお話をする位のことであります。
 近頃神社といふことが大分世間で問題になるやうになりまして、御承知でありますか知りませぬが、政府筋でもそれに關して商賣に拔目が無く、鐵道院では「かみ詣で」といふ小さい本を作つて居られる。是も貰つたから見たので、強ひて買つて見ようといふほどの考も無かつた。見ると、是は鐵道院でも半分は商賣に致したことでありませうから、學問上から色々苦情を言つても仕方がないが、殊に其の見方は言はゞ遊覽の材料に書いたやうなものでありまして、實は神社を有難く感ずる爲に書いたのか、遊び歩く序でに少し見たら宜からうといふので書いたのか判らない位であります。之を見ますと如何にも信仰のあるやうな口繪などが付いて居りますけれども、中は矢張り何處が特別保護建築物であるとか、景色も佳いとか、惡いとかいふやうなことが重に書いてあります。まア半分は遊覽の爲めである。尤も遊覽から信仰が起つたら猶更結構でありますが、兎に角さういふ風で大分神社等に注意するやうになりました。それと共に「神社と思想問題」などが屡々現はれかゝるのであります。私は思想問題の方へ觸れることは、神社の事に就て言ふよりも遙かに不得手でありますから、矢張り單に自分のやる歴史上から考へて見たいのであります。それ故私の方から言ふと神社は有難くならぬ方が多いかも知れませぬ。併し兎に角色々昔の人の研究したことに就て自分の考へたことを少しばかり話してみようと思ふのであります。
 古い事を考へますと、近畿地方は神社のことだけではなく、歴史上非常に年數が永い。同じ日本としましても、近畿地方と私が生れました東北地方などゝは歴史上の年代に餘程差があります。日本の開闢は何千年か知りませぬ。普通二千五百年と言つて居る。併し私共の生れた東北地方の歴史らしい歴史の始まりは、非常に古くても八九百年位であります。それも眞に我々の地方の名が歴史に出て居るか居らぬかといふ位のものであります。多少歴史の上に分るやうになつたのは、殆ど南北朝以…

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