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善蔵を思う
ぜんぞうをおもう
作品ID2278
著者太宰 治
文字遣い新字新仮名
底本 「太宰治全集3」 ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年10月25日
入力者柴田卓治
校正者小林繁雄
公開 / 更新2000-01-16 / 2014-09-17
長さの目安約 29 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 ――はっきり言ってごらん。ごまかさずに言ってごらん。冗談も、にやにや笑いも、止し給え。嘘でないものを、一度でいいから、言ってごらん。
 ――君の言うとおりにすると、私は、もういちど牢屋へ、はいって来なければならない。もういちど入水をやり直さなければならない。もういちど狂人にならなければならない。君は、その時になっても、逃げないか。私は、嘘ばかりついている。けれども、一度だって君を欺いたことが無い。私の嘘は、いつでも君に易々と見破られたではないか。ほんものの兇悪の嘘つきは、かえって君の尊敬している人の中に在るのかも知れぬ。あの人は、いやだ。あんな人にはなりたくないと反撥のあまり、私はとうとう、本当の事をさえ、嘘みたいに語るようになってしまった。ささ濁り。けれども、君を欺かない。底まで澄んでいなくても、私はきょうも、嘘みたいな、まことの話を君に語ろう。
 暁雲は、あれは夕焼から生れた子だと。夕陽なくして、暁雲は生れない。夕焼は、いつも思う。「わたくしは、疲れてしまいました。わたくしを、そんなに見つめては、いけません。わたくしを愛しては、いけません。わたくしは、やがて死ぬる身体です。けれども、明日の朝、東の空から生れ出る太陽を、必ずあなたの友にしてやって下さい。あれは私の、手塩にかけた子供です。まるまる太ったいい子です。」夕焼は、それを諸君に訴えて、そうして悲しく微笑むのである。そのとき諸君は夕焼を、不健康、頽廃、などの暴言で罵り嘲うことが、できるであろうか。できるとも、と言下に答えて腕まくり、一歩まえに進み出た壮士ふうの男は、この世の大馬鹿野郎である。君みたいな馬鹿がいるから、いよいよ世の中が住みにくくなるのだ。
 おゆるし下さい。言葉が過ぎた。私は、人生の検事でもなければ、判事でもない。人を責める資格は、私に無い。私は、悪の子である。私は、業が深くて、おそらくは君の五十倍、百倍の悪事を為した。現に、いまも、私は悪事を為している。どんなに気をつけていても、駄目なのだ。一日として悪事を為さぬ日は、無い。神に祷り、自分の両手を縄で縛って、地にひれ伏していながらも、ふっと気がついた時には、すでに重大の悪事を為している。私は、鞭打たれなければならぬ男である。血潮噴くまで打たれても、私は黙っていなければならぬ。
 夕焼も、生れながらに醜い、含羞の笑を以てこの世に現われたのではなかった。まるまる太って無邪気に気負い、おのれ意慾すれば万事かならず成ると、のんのん燃えて天駈けた素晴らしい時刻も在ったのだ。いまは、弱者。もともと劣勢の生れでは無かった。悪の、おのれの悪の自覚ゆえに弱いのだ。「われ、かつて王座にありき。いまは、庭の、薔薇の花を見て居る。」これは友人の、山樫君の創った言葉である。
 私の庭にも薔薇が在るのだ。八本である。花は、咲いていない。心細げの小さい葉だけが、ち…

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