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作品ID | 2332 |
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著者 | 寺田 寅彦 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「寺田寅彦随筆集 第一巻」 岩波文庫、岩波書店 1947(昭和22)年2月5日、1963(昭和38)年10月16日第28刷改版 |
初出 | 「中央公論」1921(大正10)年1月 |
入力者 | 田辺浩昭 |
校正者 | かとうかおり |
公開 / 更新 | 1999-11-24 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 20 ページ(500字/頁で計算) |
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私は自分の住み家の庭としてはむしろ何もない広い芝生を愛する。われわれ階級の生活に許される程度のわずかな面積を泉水や植え込みや石燈籠などでわざわざ狭くしてしまって、逍遙の自由を束縛したり、たださえ不足がちな空の光の供給を制限しようとは思わない。樹木ももちろん好きである、美しい草花以上にあらゆる樹木を愛する。それでもし数千坪の庭園を所有する事ができるならば、思い切って広い芝生の一方には必ずさまざまな樹林を造るだろうと思う。そして生気に乏しいいわゆる「庭木」と称する種類のものより、むしろ自然な山野の雑木林を選みたい。
しかしそのような過剰の許されない境遇としては、樹木のほうは割愛しても、芝生だけは作らないではいられなかった。そうして木立ちの代わりに安価な八つ手や丁子のようなものを垣根のすそに植え、それを遠い地平線を限る常緑樹林の代用として冬枯れの荒涼を緩和するほかはなかった。しあわせに近所じゅういったいに樹木が多いので、それが背景になって樹木の緑にはそれほど飢える事はない。
許されうる限りの日光を吸収して、芝は気持ちよく生長する。無心な子供に踏みあらされても、きびしい氷点下の寒さにさらされても、この粘り強い生命の根はしっかりと互いにからみ合って、母なる土の胸にしがみついている。そうして父なる太陽が赤道を北に越えて回帰線への旅を急ぐころになると、その帰りを予想する喜びに堪えないように浮き立って新しい緑の芽を吹き始める。
梅雨期が来ると一雨ごとに緑の毛氈が濃密になるのが、不注意なものの目にもきわ立って見える。静かな雨が音もなく芝生に落ちて吸い込まれているのを見ていると、ほんとうに天界の甘露を含んだ一滴一滴を、数限りもない若芽が、その葉脈の一つ一つを歓喜に波打たせながら、息もつかずに飲み干しているような気がする。
雨に曇りに、午前に午後に芝生の色はさまざまな変化を見せる。ある時は強烈な日光を斜めに受けて針のような葉が金色に輝いている。その上をかすめて時々何かしら小さな羽虫が銀色の光を放って流星のように飛んで行く。
それよりも美しいのは、夏の夜がふけて家内も寝静まったころ、読み疲れた書物をたたんで縁側へ出ると、机の上につるした電燈の光は明け放された雨戸のすきまを越えて芝生一面に注がれている。まっ暗な闇の中に広げられた天鵞絨が不思議な緑色の螢光を放っているように見える。ある時はそれがまた底の知れぬ深い淵のように思われて来る事もある。これを見ていると疲れ熱した頭の中がすうっと涼しくさわやかに柔らいで来る。私は時々庭へおりて行っていろいろの方向からこの闇の中に浮き上がった光の織物をすかして見たりする。それからそのまん中に椅子を持ち出して空の星を点検したり、深い沈黙の小半時間を過ごす事もある。
芝の若芽が延びそめると同時に、この密生した葉の林の中から数限りもない小さ…