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明治座の所感を虚子君に問れて
めいじざのしょかんをきょしくんにとわれて
作品ID2372
著者夏目 漱石
文字遣い新字新仮名
底本 「夏目漱石全集10」 ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年7月26日
入力者柴田卓治
校正者大野晋
公開 / 更新1999-06-14 / 2014-09-17
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

○虚子に誘われて珍らしく明治座を見に行った。芝居というものには全く無知無識であるから、どんな印象を受けるか自分にもまるで分らなかった。虚子もそこが聞きたいので、わざわざ誘ったのである。もっとも幼少の頃は沢村田之助とか訥升とかいう名をしばしば耳にした事を覚えている。それから猿若町に芝居小屋がたくさんあったかのように、何となく夢ながら承知している。しかも、あとから聞くと訥升が贔屓だったという話であるから驚ろく。それはおおかた嘘だろうと思う。物心がついてからは全く芝居には足を入れなかった。しかし自分の兄共は揃も揃って芝居好で、家にいると不断仮色などを使っているから、自分はこの仮色を通して役者を知っていた。それから今日までに団十郎をたった一遍見た事があるばかりである。もっとも新派劇は帰朝後三四遍見たが、けっして好じゃない。いつでも虚子に誘われて行くだけで、行ったあとでは大いに辟易するくらいである。
○それで明治座へ行って、自分の枡へ這入ってみると、ただ四方八方ざわざわしていろいろな色彩が眼に映る感じが一番強かった。もっともこれは能とさほど性質において差違はないが、正面の舞台で女の生首を抱いたり箱へ入れたりしているのにその所作には一向同情がない。万事余計な事をしているように思われる。まるで西洋人が始めて日本の芝居を見たら、こうだろうと想像されるくらい妙な心持であった。全く魚の陸見物である。
○それからだんだん慣れて来たら、ようやく役者の主意の存するところもほぼ分って来たので、幾分か彼我の胸裏に呼応する或ものを認める事ができたが、いかんせん、彼らのやっている事は、とうてい今日の開明に伴った筋を演じていないのだからはなはだ気の毒な心持がした。
○その特色を一言で概括したら、どうなるだろうと考えると、――固よりいろいろあり、また例のごとく長々と説明したくなるが――極めて低級に属する頭脳をもった人類で、同時に比較的芸術心に富んだ人類が、同程度の人類の要求に応ずるために作ったものをやってるからだろうと思う。例を挙げると、いくらもあるが、丸橋忠弥とかいう男が、酒に酔いながら、濠の中へ石を抛げて、水の深浅を測るところが、いかにも大事件であるごとく、またいかにも豪そうな態度で、またいかにも天下の智者でなくっちゃ、こんな真似はできないぞと云わぬばかりにもったいぶってやる。そのもったいぶるところを見物がわっと喝采するのである。が、常識から判断すれば誰にでも考えつく事で、誰にでもやれる事で、やったってしようのない事である。だからもったいぶり方はいくら芸術的にうまくできたって、うまくできればできるほどおかしくするだけである。それを心から感心して見るのは、どうしたって、本町の生薬屋の御神さんと同程度の頭脳である。こんな謀反人なら幾百人出て来たって、徳川の天下は今日までつづいているはずである。松…

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