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就職
しゅうしょく
作品ID24353
著者林 芙美子
文字遣い旧字旧仮名
底本 「惡鬪」 中央公論社
1940(昭和15)年4月17日
入力者林幸雄
校正者花田泰治郎
公開 / 更新2005-08-24 / 2014-09-18
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 何をそんなに腹をたててゐるのかわからなかつた。埼子は松の根方に腰をかけて、そこいらにある小石をひろつては、海の方へ、男の子のやうな手つきで、「えゝいツ」と云つては投げつけてゐた。石は二三間位しか飛ばないで、その邊の砂地の上へ濕つた音をたてておちてゐる。
 冬の濱邊は、時々遠くの方から、ごおつごおつと風を卷きたててゐた。空には雲の影もないのに薄陽が針をこぼしたやうに砂地にやはらかい光をおとしてゐる。埼子は急に砂地の上へ轉び、犬のあがきのやうに、乾いた砂地をごろごろ轉げてみた。砂は襟の中や、袖や、裾から埼子の熱い躯に觸れてくる。埼子は汗ばんだ肌へ少しづつ砂がはいつてくるのが氣持がよかつた。しまひには、胸をひろげて、乾いた砂を胸へすくひこんでゐる。砂は汐臭い海の匂ひがしてゐた。兩手に砂をすくつてシャワーだと云つて裸の膝小僧にもふりかけてみた。時々、小人島の風のやうなあるかなきかの龍卷が、埼子の頬へ砂風を吹きつけてくる。膝小僧の上の砂もさらさらと風に吹き散らされて、柔らかい、まるい膝小僧が薄あかく陽に光つてゐる。
 埼子は急に砂の上に立ちあがつた。背中にも胸にも砂がざりざりしてゐる。埼子は髮の毛をゆすぶり、頭髮の砂をはらひおとすと躯ぢゆうの砂だけは一粒でもおとさないやうにと、息をつめて家へ走つて行つた。
 埼子が變な恰好で濱邊から走つて來るのを、二階のサン・ルームから眺めてゐた謙一は、急いで梯子段を降りて行つてみた。
「埼ちやん、どうしたんだい、頬つぺたなんかふくらましたりして‥‥」
 縁側へ謙一が出てゆくと、埼子はいまにも、嘔吐のきさうな變な樣子をして、謙一に「早く、早く‥‥」と云つた。謙一はどうしていゝかわからないので、座敷へ走りこんでゐる埼子の後から急いでついていつてみた。埼子は座敷へ這入ると、謙一をふりかへつて、しばらくぢつとみつめてゐたけれど、急に羽織をぬぎ、足袋をぬいで、ぱつぱと躯を激しくゆすぶつてゐる。衿や、袖や、胸にたまつてゐた砂が、ざらざらと新しい疊の上に落ちこぼれた。
「どうしたンです?」
「あのねえ、あなたにお土産を持つて來たのよ‥‥」
 埼子は自分で躯をゆすぶりながら青くなつてゐた。謙一は呆れて埼子をみつめてゐる。埼子は帶をといた。そして、帶をそこへときすてたまゝ自分の部屋へ走つて行つた。謙一は疊の上の砂を眺めてゐたが、急に、熱いものが胸に沁みてきた。埼子の淋しさが、昨日からの自分を責めてゐるやうにもとれる。謙一はさつき濱邊まで埼子を探しに行つたのだけれど、埼子を探すことが出來ずに戻つてきたのであつた。謙一はしばらく座敷へつゝ立つてゐたが、心のうちでは、埼子へ對する激しい愛慕の氣持がつきあげてきてゐた。
 謙一は埼子の部屋へ行つてみた。埼子はもう洋服に着替へて濡れ手拭で顏を拭いてゐる處だつた。
「ねえ、ごめんなさいね‥‥」
「‥‥‥‥」
「…

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