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夜福
よるふく
作品ID24359
著者林 芙美子
文字遣い旧字旧仮名
底本 「旅館のバイブル」 大阪新聞東京支社
1947(昭和22)年2月1日
入力者林幸雄
校正者花田泰治郎
公開 / 更新2005-09-09 / 2014-09-18
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

        一

 青笹の描いてある九谷の湯呑に、熱い番茶を淹れながら、久江はふつと湯呑茶碗のなかをのぞいた。
 茶柱が立つてゐる。絲筋のやうなゆるい湯氣が立ちあがつてゐる。
「おばアちやん、清治のお茶、また茶柱が立つてゐますよ」
 雪見障子から薄い朝の陽が射し込んでゐる。
 久江はその湯呑茶碗をそつと持つて、お佛壇の棚へそなへた。佛壇の中には、十年も前に亡くなつた父や伯母の位牌が飾つてある。その父と伯母の位牌の間に、去年戰死した一人息子の清治の位牌がまつゝてあつた。父や伯母の湯呑は小さい白い燒物だつたけれど、清治のだけは、生前、清治が好きで毎日つかつてゐた九谷の湯呑茶碗をつかつた。
 久江は佛壇の前に暫く坐つて眼をつぶつてゐた。
 赤い毛糸で編んだ袖なしを着てゐる。[#「着てゐる。」はママ]今年八十二歳の久江の母は、薄陽の射してゐる疊へ油紙を敷いて、おもとの鉢植を並べて手入れをしてゐた。頭はすつかり禿げてしまつてゐるけれども、色の白いおばあさんだつたので、老人特有の汚さが少しもない。
 久江は手を合はせてぢつと拜みながら、(お父さんがねえ、あんたのお位牌を拜みに來たいつておつしやるのよ)と、口のうちでそつとつぶやいてゐる。
 清治は戰死したけれど、何時も私達のそばにゐてくれるだらうと、おばあさんはいふのである。
 庭のこぶしには、薄みどりの芽が萠えてゐたし、南天もきらきら陽に光つてゐる。十坪ばかりの狹い庭だつたけれども、おばあさんが庭いぢりが好きで、何處もこゝも丹誠して京都あたりの庭のやうに、清潔できれいだつた。清治も、このおばあさんの薫陶をうけたせゐか、非常に庭をつくることが好きで、出征する前は日曜日なんかは植木屋みたいに器用な鋏のつかひかたで終日枝落しや植かへを愉しんでゐたものである。
 大學時代にはテニスも少しばかりやつてゐた。
「おばあさん、――この間から考へてゐたンですけど、この家を賣らないかといふひとがあるンですけどねえ‥‥」
 おばあさんは、巾着のやうにすぼまつた唇をもぐもぐさしてゐる。鼻が小さくて何時も笑つてゐるやうなおばあさんの表情は、久江にとつては豐年の稻穗を見てゐるやうに平和な氣持だつた。
「買つてくれるお人があるのかねえ」
 眼も耳も達者で、若い時は淨瑠璃をやつてゐたせゐか、聲が澄んできれいであつた。
「えゝ、佐竹さんで、この家を世話するつておつしやるンだけど‥‥宿屋商賣も樂ぢやないし、このごろは柄が惡くなつて、使つてゐる人間だつて、爪の先ほどの親切氣もなくなつたンですもの、――つくづくこの商賣が厭になりましたわ」
「そりやアねえ、お前さんだつて樂ぢやないとおもひますけど、わたしは、もうこんな年だし、――本當は見も知らない家へ引越して死にたくはないと思つてるンだけどね‥‥」
「えゝよく判ります」
「でもねえ、何ですか、世間でよく…

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