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![]() うつくしいいぬ |
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作品ID | 24375 |
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著者 | 林 芙美子 Ⓦ |
文字遣い | 旧字新仮名 |
底本 |
「童話集 狐物語」 國立書院 1947(昭和22)年10月25日 |
入力者 | 林幸雄 |
校正者 | 鈴木厚司 |
公開 / 更新 | 2005-06-10 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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遠いところから北風が吹きつけている。ひどい吹雪だ。湖はもうすっかり薄氷をはって、誰も舟に乘っているものがない。
ペットは湖畔に出て、さっきからほえたてていた。ペットはモオリスさんの捨犬で、いつも、モオリスさんの別莊のポーチで暮らしている。野尻湖畔のモオリスさんの別莊へ來た時は、ペットはまだ色つやのいい、たくましいからだつきをしていた。
モオリスさんは、戰爭最中に、アメリカへ一家族でかえってしまった。ペットは柏原の荒物屋にお金をつけてもらわれて來たのだけれども一週間もすると、つながれた鎖をもぎはなして、ペットは野尻へ逃げていってしまった。それからは、モオリスさんのおとなりにいた白系露人のガブラシさんに、かわいがられて暮らしていたのだけれど終戰と同時に、ガブラシさんも一家族で横濱へいってしまった。
ペットはガブラシさんにも別れて、食べものもなく、すっかり、昔の美しい毛なみをうしなって、よろよろと野尻の湖畔を野良犬になって暮らしていた。
ペットはポインターの雜種で、茶色の大きい犬だった。好きな主人にはなれ、その次のガブラシさんにもはなれて、いままでのたのしい、きそくだった生活からはなれて、だんだんからだが弱くなっていった。
冬になると、モオリスさんは、東京の麻布の家で、ペットをストーヴのそばにおいてくれたものだけれど、そして、野尻でも、ガブラシさんは冬になると、いつもストーヴのそばにペットを寢かせてくれたけれども、終戰になって、ペットの好きな人がだれもいなくなってしまうと、ペットははじめての冬を、ほんとに哀れなかっこうで暮らさなければならなかった。
疎開の人たちもまだ、あっちこっちの別莊に殘ってはいたけれど、ペットを飼ってくれるような、親切なひとは一人もいなかった。ペットは、時たま野尻の町をあるいて、家々の臺所口からのぞいて、何かたべものはないかと、そこにいる人々にあわれみのこもった眼を向けるのだったけれども、誰も、しっ、しっと叱るだけで、ペットに食べ物をくれるひとは一人もない。
それでも、ペットはどうにか、食物をあさって、その日その日を暮らしていた。
秋の終りごろ、野尻の別莊地に、みなれないジープが一臺來て、アメリカの兵隊さんが、湖畔で船を出して遊んでいた。ペットは、久しぶりに、モオリスさんによく似たひとにめぐりあったような氣がして、ジープのそばへ走っていった。ジープに殘っていた兵隊さんが、ペットを見ると口笛を吹いて、ビスケットを投げてくれた。
ペットは、はげしいうれしさで、その兵隊さんの手へ飛びついていった。何年ぶりかで、ペットはおいしいビスケットをもらって、ちぎれるようにしっぽを振って、兵隊さんにじゃれていた。
ペットはとてもうれしかった。
やがて、日暮れがた、ジープは、船あそびの兵隊さんをのせて町の方へ戻っていった。
ペットはジー…