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貢院の春
こういんのはる |
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作品ID | 24388 |
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著者 | 原 勝郎 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「日本中世史の研究」 同文館 1929(昭和4)年11月20日 |
初出 | 「藝文 第六年第五號」1915(大正4)年5月 |
入力者 | はまなかひとし |
校正者 | 湯地光弘 |
公開 / 更新 | 2004-05-19 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 12 ページ(500字/頁で計算) |
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大正三年の春南海よりの歸へるさに支那内地を一瞥せばやと思ひ立ち、上海の淹留中には一夜泊りにて、杭州に遊び、噂にのみは年久しく耳馴れし西湖の風光をまのあたり眺め、更に上海よりして陸路金陵に赴き、長江を遡り、漢口を經て北京に入りたりしが、車上に將た船中に、日々眼に遮るもの一として驚神の因たらざるはなく、外國旅行には多少の經驗ある己にも、支那は再遊したき國なりとの感を禁ずること能はざりき。つね/\は支那の文學こそ誇張のみを事とするものと信じ居たりしに、現地に臨みては、其評判程ならぬを覺り、其誇張の適例とも見做すべき詩文の中にも、忠實なる寫生を企てたるものゝ少からぬことを始めて知りぬ。
予は今茲に予の經由せる地方、目撃せる事物の縷述を敢てせざるべし。彼の國人の著書既に充棟なるのみならず、予のとりし道は數多の邦人の往來せる所にして、之を説かむことは遼東の豕の譏りを免れざればなり。さりながら其中に就きて、今尚夢寐に忘れ難きもの二三あり。滬杭鐵道沿線の光景の如き其一なり。滿目の桃林と菜花とは云はずもがな、運河の支脈は村落の中を縱横に貫きて野人の家を繞ぐり、隣家を訪ひ隣村に赴かむとする者、必ず小船に棹して柳暗花明の間を過ぐ。人若し欲すれば、上海よりして杭州に至るまで、此船中の歡を繼續することを得べし。地勢平坦なれど斷絶多くして、縱まに車馬を驅るに適さざること彼の[#挿絵]ニスに似て、而かも地域の廣狹は固より同日に論ずべきにあらず。而して彼は海、此は河なれど、ゴンドラの風流の一端、亦之を此處に娯むを得べし。然れども若し更に此地方の適切なる匹儔を歐羅巴に求めば、獨都伯林を流るゝスプレーの、其上流の風光最も之と相若けり。予のスプレー・ワルドに遊びしは、同地方の最好季節と稱せらるゝ昇天祭に先つこと二ヶ月許り以前、木の芽も未だはり競はざる、春尚ほうら寒き頃なりき。されば予の見たる所を以て花の盛りのスプレーを推すこと難けれど、要するに彼は自然の閑寂を示すものにして、これは其豐富なる表現なり、蓋し地味肥瘠の差の致す所、若しそれ花下舟に棹す[#「棹す」は底本では「掉す」]の雅興に至りては、兩者殆ど相同じ。上に天堂あり下に蘇杭ありとの言必しも欺かず。予今に至りて其舟遊を試みざりしを悔ゆ。
忘れ難き第二は南京の貢院なり。抑も金陵には名蹟勝景甚多く、霞に包まれたる紫金山、莫愁湖の雨景、明の故宮は愚か滿人の屋敷跡にすら漸々と秀づる麥隴、いづれもとり/″\に面白かりしかど、深く感興を催せしこと貢院に如くものあらざりき。明代の貢院は太平賊の兵燹に滅びて、今存するは同治三年の修築に係かるものと云ふ。爾來半世紀にして科擧廢せられ、さしも大規模の房舍も無用の長物と化し了し、殊に革命亂以來は風雨に任かせて暴露せられたれば、彼の北京の貢院と同じく、全く其跡を留めざるに至るべきこと、恐くは十年を出でざるべし…