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春六題
はるろくだい |
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作品ID | 2440 |
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著者 | 寺田 寅彦 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「寺田寅彦随筆集 第一巻」 岩波文庫、岩波書店 1947(昭和22)年2月5日、1963(昭和38)年10月16日第28刷改版 |
初出 | 「新文学」1921(大正10)年4月 |
入力者 | (株)モモ |
校正者 | かとうかおり |
公開 / 更新 | 2003-06-10 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 12 ページ(500字/頁で計算) |
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一
暦の上の季節はいつでも天文学者の計画したとおりに進行して行く。これは地球から見た時に太陽が天球のどこに来ているかという事を意味するだけの事であるから、太陽系に何か大きな質量の変化が起こるか、重力の方則が変わらない限り、予定のとおり進行してゆくはずである。
近ごろ、アインシュタインの研究によってニュートンの力学が根底から打ちこわされた、というような話が世界じゅうで持てはやされている。これがこういう場合にお定まりであるようにいろいろに誤解され訛伝されている。今にも太陽系の平衡が破れでもするように、またりんごが地面から天上に向かって落下する事にでもなるように考える人もありそうである。そしてそれが近代人の伝統破壊を喜ぶ一種の心理に適合するために、見当違いに痛快がられているようである。しかし相対原理が一般化されて重力に関する学者の考えが一変しても、りんごはやはり下へ落ち、彼岸の中日には太陽が春分点に来る。これだけは確実である。力やエネルギーの概念がどうなったところで、建築や土木工事の設計書に変更を要するような心配はない。
アインシュタインおよびミンコフスキーの理論のすぐれた点と貴重なゆえんはそんな安直な事ではないらしい。時と空間に関する吾人の狭いとらわれたごまかしの考えを改造し、過去未来を通ずる大千世界の万象を四元の座標軸の内に整然と排列し刻み込んだ事でなければならない。夢幻的な間に合わせの仮象を放逐して永遠な実在の中核を把握したと思われる事でなければならない。複雑な因果の網目を枠に張って掌上に指摘しうるものとした事でなければならない。
この新しい理論を完全に理解する事はそう容易な事ではないだろう。アインシュタインが自分の今度書くものを理解する人は世界じゅうに一ダースとはあるまいと言ったそうである。この言葉がまた例によって見当違いに誤解されて、坊間に持てはやされている。そして彼の理論の上に輝く何かしら神秘的の光環のようなものを想像している人もあるらしい。
特別な数学的素養のない人でも、この理論の根底に横たわる認識論上の立場の優越を認める事はそう困難とは思われない。かえってむしろ悪く頭のかたまったわれわれ専門学者のほうが始末が悪いかもしれない。この場合でも心の貧しき者は幸いである。
一般化された相対論はとにかくとして、等速運動に関するいわゆる特別論などはあまりにわかりきった事であるためにわかりにくいと言われうるかもしれない。それはガリレー以来、力学が始まってこのかただれも考えつかなかったほどわかりきった事であったのである。ここでアインシュタインが出て来てコロンバスの卵の殻をつぶしてデスクの上に立てた。
だれにでもわかるものでなければそれは科学ではないだろう。
二
暦の上の春と、気候の春とはある意味では没交渉である。編…