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枯菊の影
かれぎくのかげ |
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作品ID | 24425 |
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著者 | 寺田 寅彦 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「寺田寅彦全集 第一巻」 岩波書店 1996(平成8)年12月5日 |
初出 | 「ホトトギス 第十巻第五号」1907(明治40)年2月1日 |
入力者 | Nana ohbe |
校正者 | 松永正敏 |
公開 / 更新 | 2004-04-12 / 2016-02-25 |
長さの目安 | 約 14 ページ(500字/頁で計算) |
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少し肺炎の徴候が見えるようだからよく御注意なさい、いずれ今夜もう一遍見に来ますからと云い置いて医者は帰ってしまった。
妻は枕元の火鉢の傍で縫いかけの子供の春着を膝へのせたまま、向うの唐紙の更紗模様をボンヤリ見詰めて何か考えていたが、思い出したように、針を動かし始める。唐縮緬の三つ身の袖には咲き乱れた春の花車が染め出されている。嬢やはと聞くと、さっきから昼寝と答えたきり、元の無言に帰る。火鉢の鉄瓶の単調なかすかな音を立てているのだけが、何だか心強いような感じを起させる。眼瞼に蔽いかかって来る氷袋を直しながら、障子のガラス越しに小春の空を見る。透明な光は天地に充ちてそよとの風もない。門の垣根の外には近所の子供が二、三人集まって、声高に何か云っているが、その声が遠くのように聞える。枕につけた片方の耳の奧では、動脈の漲る音が高く明らかに鳴っている。
また肺炎かと思う。これまで既に二度、同じ病気に罹った時分の事も思い出す。始めての時はまだ小学時代の事で、大方の事は忘れて仕舞った。病気の苦しみなどはまるきり忘れてしまって、ただ病気の時に嬉しかったような事だけが、順序もなく浮んで来る。いったい自分は両親にとっては掛け替えのない独り子で、我儘にばかり育ったが、病気となると一層の我儘で手が付けられなかったそうである。薬でもなかなか大人しくのまぬ。これを飲んだらあれを買ってやるからと云ったような事で、枕元には玩具や絵本が堆くなっていた。少し快くなる頃はもう外へ遊びに出ようとする、それを引き止めるための玩具がまた増した。これが例になって、その後はなんでも少し金目のかかるような欲しい物は、病気の時にねだる事にした。病気を種に親をゆするような事を覚えたのはあの時だったと思うと、親の顔が今更になつかしい。二度目に罹った時は中学校を出て高等学校に移った明けの春であった。始めての他郷の空で、某病院の二階のゴワゴワする寝台に寝ながら窓の桜の朧月を見た時はさすがに心細いと思った。ちょうど二学期の試験のすぐ前であったが、忙しい中から同郷の友達等が入り代り見舞に来てくれ、みんな足しない身銭を切って菓子だの果物だのと持って来ては、医員に叱られるような大きな声で愉快な話をして慰めてくれた。あの時の事を今から考えてみると、あるいは自分の生涯の中で最も幸福な時だったかも知れぬと思う。憎まれ児世に蔓ると云う諺の裏を云えば、身体が丈夫で、智恵があって、金があって、世間を闊歩するために生れたような人は、友情の籠った林檎をかじって笑いながら泣くような事のあるのを知らずにしまうかも知れない。あの頃自分は愛読していた書物などの影響から、人間は別になんにもしなくても、平和に綺麗に一生を過せばそれでよいと云ったような考えが漠然と出来ていたので、病気で試験を休もうが、落第しようが、そんな事は一向心配しなかった。むしろ…