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![]() きゅうぶんにほんばし |
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作品ID | 24432 |
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副題 | 25 渡りきらぬ橋 25 わたりきらぬはし |
著者 | 長谷川 時雨 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「旧聞日本橋」 青蛙房 1971(昭和46)年5月15日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 小林繁雄 |
公開 / 更新 | 2003-08-10 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 37 ページ(500字/頁で計算) |
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一
お星さまの出ていた晩か、それとも雨のふる夜だったか、あとで聞いても誰も覚えていないというから、まあ、あたりまえの、暗い晩だったのであろう。とにかく、あたしというものが生まれた。
戸籍は十月の一日になっているが、九月廿八日だとか廿九日だとか、それもはっきりしない。次々と妹弟が生まれたので、忘れられてしまったのか、とにかく、露の夜ごろ、虫の音のよいころではあるが、あいにく、武蔵野生まれでも、草の中でも、木の下でも生まれず、いたって平凡に、市中の、ある家の蔵座敷で生をうけた。明治十二年、日本橋区通油町壱番地。ちっぽけな、いやな赤ん坊だったので、何処からか帰って来て見た父は、片っぽの手にとって見てすぐ突きかえしたと、よく母が言っていた。
父には三人目の子、母には初児だが、あたしが生まれたときには、姉も兄も、みな幼死していなかった。清潔ずきで、身綺麗だった祖母に愛されたとはいえ、祖母はもう七十三歳にもなっていたので、抱きかかえての愛ではなく、そしてまた、祖母の昔気質から、もろもろのことを岨まれもしたり、そのかわりに軽薄に育たなかったという賜ものをも得た。
次へ、次へ、次へと、妹が三人、その次へ弟が二人、また妹が一人と、妹弟が増えて、七人となったが、丁度、二人ばかり妹が出来た時分のこと、コンデンスミルクを次の妹に解いてやったり、その次の子が、母親の膝の上で、大きな乳房を独りで占領して、あいている方の乳房まで、小さな掌で押えているのを見ると、あたしは涎を流して羨ましそうに眺めていたという。
二歳ぐらいの時だったのであろう、釣洋燈がどうしたことでか蚊帳の上に落ちて、燃えあがったなかに、あたしは眠っていたので、てっきり焼け死んだか、でなければ大火傷をしたであろうと、誰も咄嗟に思ったそうだが、気転のきいたものが、燃えている蚊帳の裾から、ふとんごと引出すと、そんな騒ぎはすこしも知らずに、そのまま眠りつづけていたので、運の好い子だといわれたときいた。
あたしの眼に、居廻りの家並などが、はっきり印象されるようになった時分の、小伝馬町、大伝馬町、人形町通り、大門通りといった町は、黒い蔵ばかり、田舎とちがって白壁の土蔵は、荷蔵くらいなもので、それも腰の方は黒くぬってあって、店蔵も住居の蔵も、黒くぴかぴか光った壁であった。それに、暖簾も紺、長暖簾もおなじく、屋号と、印を白く染めぬいた紺のれんで、鉄や厚い木の天水桶が店のはずれに備えつけてあって、中にはなかなか立派な、金魚や緋鯉が住んでいた。ちらちらと町に青いものが見えれば、それは大概大きな柳の木だ。奥庭には、松や榧や木[#挿絵]や、柏も柚の木も、梅も山吹も海棠もあって、風に桜の花片は飛んで来ることはあっても、外通りは堅気一色な、花の木などない大問屋町であった。
問屋が多いので、積問屋――運送店――の大きいの…