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恋文
こいぶみ |
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作品ID | 24440 |
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著者 | 高田 保 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本の名随筆 別巻36 恋文」 作品社 1994(平成6)年2月25日 |
入力者 | 雪華 |
校正者 | 土屋隆 |
公開 / 更新 | 2004-04-21 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 9 ページ(500字/頁で計算) |
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某日某所で、『ものは附』の遊びをやつた。『長いものは』といふのが題だつたのだが、『他人の恋文』といふ答へが出ると、判定で意見が分れた。他人の恋文と来れば誰だつて面白がつて読むことだから、これはちつとも長くないといふ説と、他人の恋文などとはくそ面白くもない。だからハガキ一枚にしろ長いぢやないかといふ説とだつた。どつちも本当なので、中々結着がつかず、『長いものは他人の恋文についての談議』といふことではどうかとなり、大笑ひをしたのを覚えてゐる。
が、それにしても、恋文といふものは他人に見せるものか? 常識としてはまあ見せぬ筈のものだらう。だがそれがとかく見つかり易い。見つかると騒動になる。現在ならば何事も「しかしそんなこと自由ぢやないか」と一言取り澄ましてセリフをいへばそれきりだらうが、昔だとこれが「不義者みつけたア」といふ喚きになつて、その証拠の一通があつちに行きこつちに渡り、それだけで全通し何幕といふ大狂言が出来上つたりしたものである。それほどの筋にならずとも、胸元を抑へられて、小突き廻はされるぐらいの小波瀾は、到底まぬがれ得ないところで、かうなると大の男である亭主も、小の女である女房の前に頭が上がらない。昔の封建日本は男性横暴だつたといふが、必ずしもさうでなかつたことは、維新のころの駐日英国公使だつたオルコック氏の『大君の都』といふ書物をみるとわかる。それにはこの亭主平謝まりの図が細密に描かれて「恋文発覚の図(ラヴレタア・ディスカヴァド)」と説明されてゐる。
秘めてゐるつもり、隠して抜かりのないつもりが、明日ありと思ふ心の仇桜で、いつどんなことになるかわかつたものではない。あるオペラ一座が『カルメン』を上演した。御承知のとほりあの中では、ミカエラが手紙をもつて現はれる。ホセをみつけてそれを渡す。お母さんからのお手紙よといふ。ホセは開いて、あゝ、懐かしの母上からと唄ふ。あの場面のときだが、ミカエラ役の女優ははたと当惑してしまつた。その手紙をもつて出るのをうつかり忘れてしまつたからである。あゝ、どうしたらいゝだらう? ところが一通持つてゐるにはゐた。がそれは小道具の手紙ではない。彼女自身が肌身につけて持つてゐた本当の手紙である。実は彼女の恋人からの大切な恋文だつたのだが、いまとなつてはそれを肌身から離して、代用させるより外はない。あゝ許し給へや恋人よ、と彼女はやむなく眼をつむるやうにしてそれを取り出した。そしてホセ役の男優に渡したのである。もしもこの男優が、かねてからこのミカエラ役の女優に横恋慕でもしてゐたのだつたら、大きにここが話の山になるところだらうが、とにかくホセ役の方ではいつもと同じに心得て封を切らうとして気がついた。するとミカエラが小声で、読まないでよと、いふ。読まなければ演技が出来ない。すでに封の切れてゐるのを切る風をして中をとり出す。ね、後…