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かめれおん日記
かめれおんにっき |
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作品ID | 24443 |
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著者 | 中島 敦 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「中島敦全集第一巻」 筑摩書房 1976(昭和51)年3月15日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 多羅尾伴内 |
公開 / 更新 | 2004-04-25 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 40 ページ(500字/頁で計算) |
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蟲有[#挿絵]者。一身兩口、爭相[#挿絵]也。遂相食、因自殺。
――韓非子――
[#改ページ]
一
博物教室から職員室へ引揚げて來る時、途中の廊下で背後から「先生」と呼びとめられた。
振返ると、生徒の一人――顏は確かに知つてゐるが、名前が咄嗟には浮かんで來ない――が私の前に來て、何かよく聞きとれないことを言ひながら、五寸角位の・蓋の無い・菓子箱樣のものを差出した。箱の中には綿が敷かれ、其の上に青黒い蜥蜴のやうな妙な形のものが載つてゐる。
「何? え? カメレオン? え? カメレオンぢやないか。生きてるの?」
思ひ掛けないものの出現に面喰つて、私が矢繼早やに聞くと、生徒は「ええ」と頷いて、顏を赭らめながら説明した。親戚の船員のものがカイロか何處かで貰つて來たのだが、珍しいものだから學校へ持つて行つてはと云ふので、博物の教師である私の所へ持つて來たのだといふ。
「ほう、そりや、どうも」有難うとも言はないで、私は其の箱を受取り、龍に似た小さな怪物を眺めた。蜥蜴よりもずつと立體的な感じで、頭が大きく、尾が長く捲き、寒さで元氣が無いらしいが、それでも、眞蒼な前肢で、しかつめらしく綿を踏まへてゐる。
生徒は私にカメレオンを渡して了ふと、それ以上私の前に立つてゐるのを羞しがるやうに、ぴよこんと頭を下げてから行つて了つた。
職員室へ持つて行つてから、始めて、飼育の困難に氣がついた。學校には温室がない。取敢へず火鉢の側の鉢植の朴の木の枝にとまらせた。はじめはジツと動かなかつたが、その中に、傍の火の温かみで元氣が出たと見え、少しづつ動き出した。眼窩はかなり大きいのだが、眼玉が外を覗く孔は極めて小さく、その小さな孔をぐる/\方々に向けて[#挿絵]しながら、その奧から見慣れぬ風景を探つてゐるらしい。朴の枝から葉の方へと匍ひ出しては身體の重みで滑りさうになり、葉の縁を趾指で掴んで支へようとするが、到頭落ちてしまふ。何度も鉢の土だの床だのの上に落ちた。落ちる度に、自分の失策を嘲笑はれて腹を立てた子供のやうに眞劍な顏付で起上つて、(背中に立つてゐる裝飾風なギザ/\が、もの/\しい眞面目な外觀を與へてゐる)めくらめつぽふに歩き出す。
職員達はみんな珍しがつて見にやつて來た。大抵は、何ですかと不思議さうに訊ねる。國漢の老教師は、どう勘違ひしたか、「それは何でも花柳病の藥になるやつでせうがな。蔭干にして、煎じてな」などと言ひ出した。
誰かが何處からか蠅をつかまへて來て、片翅をもいでから掌にのせて前に出した。カメレオンの口からサツとうす朱色の肉の棒が繰出された。舌の先端に蠅がくつつくと同時に、もう口は閉ぢられてゐる。
結局この生物をどう扱はうかと、他の博物の教師達と相談する。どうせ長くは生きないだらうが、カナリヤの箱のやうなものでも作つて、なるべく…