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珠
たま |
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作品ID | 24448 |
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著者 | 素木 しづ Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「青白き夢」 新潮社 1918(大正7)年3月15日 |
初出 | 「文章世界」1917(大正6)年8月号 |
入力者 | 小林徹 |
校正者 | 松永正敏 |
公開 / 更新 | 2003-12-17 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 22 ページ(500字/頁で計算) |
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丁度夏に向つてる、すべての新鮮な若葉とおなじやうに、多緒子の産んだ赤ん坊は生き/\と心よく康やかに育つた。そしてそれと同時に産後思はしくなかつた彼女の肉體も恢復して來ると、ながい間産前から産後、そしていまもなほ引つゞいてゐる、いろ/\涙ぐましい堪へがたいなやみも、忙しい雜事の爲めにとりまぎれて、思ひつめる事も少なくなつた。
多緒子は産後思はしくなかつたけれども、彼女の若い肉體には、別に少しのやつれも見えなかつた。やはり艶のいゝ生き/\した頬をして、娘の時のやうにありあまるやうな黒髮を手輕な銀杏返しに結つて、白い兩腕を忙しく動かしながら、赤ん坊の着物を縫つたり、おむつをかへたり等してゐた。そして多緒子は赤ん坊の顏を時々見つめながら、彼女の頭にはいろ/\の幻が、走馬燈のやうにまつはつてゐるのであつた。
彼女は忽ちいつか電車のなかで見た、桃割に結つた内氣なおとなしい十六七の娘の淋しさうな横顏を思ひ浮べた。そしてそれが自分の娘であつた。彼女はその娘に對するいろ/\の心づかひや、衣服の選擇などを思ひ浮べた。
また彼女はいつか道ですれ違つた、海老茶色のリボンを前髮につけた眼の大きい、黒い編上げの靴をはいた快活さうな少女のことを考へた。そしてそれがまた彼女の子供であつた。彼女はすぐに通學する用意や、それに對する種々な注意、リボンの色合や袴の色について考をめぐらした。そして多緒子は、自分の持つてるフランス製の小さな女持の金時計を、その子供に與へなければならないと思つたのであつた。
けれども多緒子はまづ氣がついたやうに、第一、六つになつたならば幼稚園に通はせなければならないのだと考へた。また白いエプロンをかけて、赤い羅紗の輕い靴をはかせて、道を眞直に迷はないで石ころをよけて歩くやうに、片手をひいて幼稚園まで送つて行かなければならないのだと思ふと、彼女の瞳は急にうつむくやうになつて、淋しさうに考へ込んだ。そしてなにかにおどかされたやうに、側にねせてあつた赤ん坊の上にかぶさるやうになつて、新らしい果物のやうな赤ん坊の香りをかぎながら、やはらかな頬に顏を押しつけて、
『いつまでも、いつまでもこのまゝでゐるやうに。』
と、口の中でつぶやいた。そして多緒子は、大きな瞳をうるませながら、いろんな考へを振り切るやうにして、一生懸命働いた。
多緒子は、丁度二年程前に病氣で片足を失つた不自由な肉體であつた。それで彼女は姙娠するとすぐに、不具の親を持つた子の悲しみと、不具の子を持つた親の悲しみとを考へたのであつた。けれども、それは各々にとつて唯一な最愛なものなのだ、多緒子は自分の爲めに絶えず悲しんだ、自分の母親やまた姉の不具をはづかしく思つた妹のことなどを考へた。
多緒子は自分が母にならうとした時、そしてまた母になつてしまつてからでも、たえず我子がかつて母親の人並にすこやかであつ…