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青衣童女像
せいいどうじょぞう
作品ID2459
著者寺田 寅彦
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦随筆集 第三巻」 岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年5月15日、1963(昭和38)年4月16日第20刷改版
初出「雑味」1931(昭和6)年9月
入力者(株)モモ
校正者かとうかおり
公開 / 更新2003-07-11 / 2014-09-17
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 木枯らしの夜おそく神保町を歩いていたら、版画と額縁を並べた露店の片すみに立てかけた一枚の彩色石版が目についた。青衣の西洋少女が合掌して上目に聖母像を見守る半身像である。これを見ると同時にある古いなつかしい記憶が一時に火をつけたようによみがえって来た。木枯らしにまたたく街路の彩燈の錦の中にさまざまの幻影が浮かびまた消えるような気がするのであった。
 十四五歳のころであったかと思う。そのころ田舎では珍しかった舶来の彩色石版の美しさにひどく心酔したものであった。われわれはそれを「油絵」と呼んでいたが、ほんとうの油絵というものはもちろんまだ見た事がなかったのである。この版画の油絵はたしかに一つの天啓、未知の世界から使者として一人の田舎少年の柴の戸ぼそにおとずれたようなものであったらしい。
 当時は町の夜店に「のぞきからくり」がまだ幅をきかせていた時代である。小栗判官、頼光の大江山鬼退治、阿波の鳴戸、三荘太夫の鋸引き、そういったようなものの陰惨にグロテスクな映画がおびえた空想の闇に浮き上がり、しゃがれ声をふりしぼるからくり師の歌がカンテラのすすとともに乱れ合っていたころの話である。そうして東京みやげの「江戸絵」を染めたアニリン色素のなまなましい彩色がまだ柔らかい網膜を残忍にただらせていたころの事である。こういうものに比べて見たときに、このいわゆる「油絵」の温雅で明媚な色彩はたしかに驚くべき発見であり啓示でなければならなかった。遠い美しい夢の天国が夕ばえの雲のかなたからさし招いているようなものであった。
 当時の自分のこの「油絵」の貧しいコレクションの中には「シヨンの古城」があった。それからたしかルツェルンかチューリヒ湖畔の風景もあった。スイスの湖水と氷河の幻はそれから約二十年の間自分につきまとっていた。そうしてとうとう身親しくその地をおとずれる日が来たのであったが、その時からまたさらに二十年を隔てた今の自分には、この油絵のスイスと、現実に体験したスイスとの間の差別の障壁はおおかた取り払われてしまって、かえって二十年前の現実が四十年前の幻像の中に溶け込むようにも思われるのである。
 ナポリの湾内にイタリアの艦隊の並んだ絵も一枚あった。背景にはヴェスヴィオが紅の炎を吐き、前景の崖の上にはイタリア笠松が羽をのしていた。一九一〇年の元旦にこの火山に登って湾を見おろした時には、やはりこの絵が眼前の実景の上に投射され、また同時に鴎外の「即興詩人」の場面がまざまざと映写されたのであった。
 静物が一枚あった。テーブルの上に酒びん、葡萄酒のはいったコップ、半分皮をむいたみかん、そんなものが並んでいた。そしてそれはその後に目で見た現実のあらゆるびんやコップや果物よりも美しいものであった。すべてがほの暗いそうして底光りのする雰囲気の中から浮き出した宝玉のようなものであった。
 そうして…

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