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涼味数題
りょうみすうだい
作品ID2485
著者寺田 寅彦
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦随筆集 第四巻」 岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年5月15日、1963(昭和38)年5月16日第20刷改版
初出「週刊朝日」1933(昭和8)年8月
入力者(株)モモ
校正者かとうかおり
公開 / 更新2003-06-22 / 2014-09-17
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 涼しさは瞬間の感覚である。持続すれば寒さに変わってしまう。そのせいでもあろうか、暑さや寒さの記憶に比べて涼しさの記憶はどうもいったいに希薄なように思われる。それはとにかく、過去の記憶の中から涼しさの標本を拾い出そうとしても、なかなか容易に思い出せない。そのわずかな標本の中で、最も古いのには次のようなものがある。
 幼い時のことである。横浜であったか、神戸であったか、それすらはっきりしないが、とにかくそういう港町の宿屋に、両親に伴なわれてたった一晩泊まったその夜のことであったらしい。宿屋の二階の縁側にその時代にはまだ珍しい白いペンキ塗りの欄干があって、その下は中庭で樹木がこんもり茂っていた。その木々の葉が夕立にでも洗われたあとであったか、一面に水を含み、そのしずくの一滴ごとに二階の燈火が映じていた。あたりはしんとして静かな闇の中に、どこかでくつわ虫が鳴きしきっていた。そういう光景がかなりはっきり記憶に残っているが、その前後の事がらは全く消えてしまっている。ことによると夢であったかもしれないと思われるほどおぼつかない記憶である。この、それ自身にははなはだ平凡な光景を思い出すと、いつでも涼風が胸に満ちるような気がするのである。なぜだかわからない。こんな平凡な景色の記憶がこんなに鮮明に残っているには、何かわけがあったに相違ないが、そのわけはもう詮索する手づるがなくなってしまっている。
 中学時代に友人二三人と小舟をこいで浦戸湾内を遊び回ったある日のことである。昼食時に桂浜へ上がって、豆腐を二三丁買って来て醤油をかけてむしゃむしゃ食った。その豆腐が、たぶん井戸にでもつけてあったのであろう、歯にしみるほど冷たかった。炎天に舟をこぎ回って咽喉がかわいていたためか、その豆腐が実に涼しさのかたまりのように思われた。
 熱い食物で涼しいものもある。小学時代に、夏が来ると南磧に納涼場が開かれて、河原の砂原に葦簾張りの氷店や売店が並び、また蓆囲いの見世物小屋がその間に高くそびえていた。昼間見ると乞食王国の首都かと思うほどきたないながめであったが、夜目にはそれがいかにも涼しげに見えた。父は長い年月熊本に勤めていた留守で、母と祖母と自分と三人だけで暮らしていたころの事である。一夏に一度か二度かは母に連れられて、この南磧の涼みに出かけた。手品か軽業か足芸のようなものを見て、帰りに葦簾張りの店へはいって氷水を飲むか、あるいは熱い「ぜんざい」を食った。この熱いぜんざいが妙に涼しいものであった。店とはいっても葦簾囲いの中に縁台が四つ五つぐらい河原の砂利の上に並べてあるだけで、天井は星の降る夜空である。それが雨のあとなどだと、店内の片すみへ川が侵入して来ていて、清冽な鏡川の水がさざ波を立てて流れていた。電燈もアセチリンもない時代で、カンテラがせいぜいで石油ランプの照明しかなかったがガラスのナン…

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