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三斜晶系
さんしゃしょうけい |
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作品ID | 2501 |
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著者 | 寺田 寅彦 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「寺田寅彦随筆集 第五巻」 岩波文庫、岩波書店 1948(昭和23)年11月20日、1963(昭和38)年6月16日第20刷改版 |
初出 | 「中央公論」1935(昭和10)年11月 |
入力者 | (株)モモ |
校正者 | 多羅尾伴内 |
公開 / 更新 | 2003-11-29 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 18 ページ(500字/頁で計算) |
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一 夢
七月二十七日は朝から実に忙しい日であった。朝起きるとから夜おそくまで入れ代わり立ち代わり人に攻められた。くたびれ果てて寝たその明け方にいろいろの夢を見た。
土佐の高知の播磨屋橋のそばを高架電車で通りながら下のほうをのぞくと街路が上下二層にできていて堀川の泥水が遠い底のほうに黒く光って見えた。
四つ辻から二軒目に緑屋と看板のかかったたぶん宿屋と思われる家がある。その狭い入り口から急な階段を上がると、中段の踊り場に花売りの女がいた。それを見ると妙に悲しかった。なぜかわからない。
大きな日本座敷の中にベンチがたくさん並んでいる。そこで何か法事のような儀式が行なわれているか、あるいはこれから行なわれようとしているらしい。自分はいつのまにか紋付き袴の礼装をしている。自分の前に向き合って腰かけた男が、床上にだれかが持って来て置いた白い茶わんのようなものを踏むとそれがぱちりと砕けた。すると自分も同じように自分の足もとにある白い瀬戸物を踏み砕いた。いったいどういうわけでそんな事をするのか自分でもわからないで変な気持ちがした。濃紫の衣装を着た女が自分の横に腰掛けているらしかった。何か不安な予感のようなものがそこいらじゅうに動いているようであった。
いつのまにかどこかの離れ島に渡っていた。海を隔ててはるかの向こうに群青色の山々が異常に高くそびえ連なっている。山々の中腹以下は黄色に代赭をくま取った雲霧に隠れて見えない。すべてが岩絵の具でかいた絵のように明るく美しい色彩をしている。もちろん土佐の山々だろうと思って、子供の時から見慣れたあの峰この峰を認識しようとするが、どうも様子がちがってそれらしいのがはっきりわからない。だんだん心細くなって来た。
昔の同窓で卒業後まもなく早世したS君に行き会った。昔のとおりの丸顔に昔のとおりのめがねをかけている。話をしかけたが、先方ではどうしても自分を思い出してくれない。他の同窓の名前を列挙してみても無効である。
浜べに近い、花崗石の岩盤でできた街路を歩いていると横手から妙な男が自分を目がけてやって来る。藁帽に麻の夏服を着ているのはいいが、鼻根から黒い布切れをだらりとたらして鼻から口のまわりをすっかり隠している。近づくと帽子を脱いで、その黒い鼻のヴェールを取りはずしはしたが、いっこう見覚えのない顔である。「私はNの兄ですが、いつかお尋ねした時はおかげんが悪いというのでお目にかかれませんでして」と言う。ちっとも覚えがないし、第一自分の近い交遊の範囲内にNという姓の人は一人もないようである。
なんだか急に帰りたくなって来た。便船はないかと聞いてみるとそんなものはこの島にはないという。このあいだ○○帝大総長が帰る時は八挺艪の漁船を仕立てて送ったのだという。
宅へ沙汰なしでうっかりこんな所へ来てしまって、いつ帰られるか…