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大阪を歩く
おおさかをあるく |
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作品ID | 2518 |
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著者 | 直木 三十五 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「直木三十五作品集」 文藝春秋 1989(平成元)年2月15日 |
入力者 | 小林繁雄、門田裕志 |
校正者 | 鈴木厚司 |
公開 / 更新 | 2007-03-19 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 67 ページ(500字/頁で計算) |
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大大阪小唄
直木三十五作歌
一、大君の
船着けましき、難波碕
「ダム」は粋よ、伊達姿、
君に似たかよ、冷たさは、
黄昏時の水の色、
大阪よいとこ、水の都市
二、高き屋に
登りて、見れば、煙立つ、
都市の心臓か、熔鉱炉
燃ゆる焔は、吾が想い
君の手匙で、御意のまま
大阪よいとこ、富の都市
三、近松の
昔話か、色姿
酒場の手管は、ネオンサイン
青と赤との、媚態
断髪のエロも、うれしかろ
大阪よいとこ、色の都市
四、太閤の
浪華の夢は、夢なれど、
タキシーの渦と、人の波
大大阪の横顔に
そっと、与えた、投げ接吻
大阪よいとこ、都市の都市
[#改ページ]
大阪を歩く
大阪と私
私の父は、今でも、大阪に住んでいる。南区内安堂寺町二丁目という所で、誰が、何う探したって判らない位の小さい所――四畳半と、二畳との穴の中で、土蜘蛛のように眼を光らしている。
多分、六十年乃至、七十年位は住んでいるのであろう。私が、母親の臍の穴から、何んな所へ生れるのだろうかしらと、覗いた時にも、その位の、小さな家に住んでいた。そして、今と同じように、苦い顔をしている(親爺の面というものは、大体、苦くって、いつでも、最近と同じ齢をしている。しばしば父の若い時の顔を想像するが、これ位困難なことは無い)。
私が、東京へ来い、と、云っても母親だけを寄越して、何うしても動かない。あんな、蚤の家のような所でも、住み慣れるといいのかもしれない(尤も、私の生れた、も一つの小さい家は、谷町六丁目交叉点の、電車線路になってしまっている。これは、大層悲しい事実だ)。
然し、もっとよく考えると、父は、家よりも、大阪がすきなのらしい。「東京はあかん」と、東京へくると、私の家の前へ出て、五分程立ってみて「あかん」と、云って帰ってしまう。何故、あかん、のか、父の観察と、私の哲学とは少し距離がありすぎるし、父の耳が遠いから、聞いた事はない。
私は、その父の伜であるが五年前までは、未だ、大阪が嫌いであった。大阪も、父もあかんと思うていた。二十年前、私が、文学へ志を立てた時、大阪も、父も、私に賛成してくれなかったからである。
尋常小学校は、桃園を、高等小学校は、育英第一を(この三年時分から、先生に反抗するのを憶えた)、中学は、市岡を(ここで、物理の大砲という綽名の先生が、私を社会主義者だと云った。その時分の社会主義者という名は、今の共産党員以上の危険さを示していたから、余程、悪童であったにちがいない)。
それから、大阪は、あかん、と東京へ行った。今年は、私は、三十五だから(去年も、確三十五だった。来年も、多分そうだろ…