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ウィリアム・ウィルスン
ウィリアム・ウィルスン |
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作品ID | 2523 |
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原題 | WILLIAM WILSON |
著者 | ポー エドガー・アラン Ⓦ |
翻訳者 | 佐々木 直次郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「黒猫・黄金虫」 新潮文庫、新潮社 1951(昭和26)年8月15日初版、1995(平成7)年10月15日89刷改版 |
入力者 | kompass |
校正者 | 土屋隆 |
公開 / 更新 | 2005-11-27 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 48 ページ(500字/頁で計算) |
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[#ページの左右中央]
それをなんと言うのだ? わが道に立つかの妖怪、恐ろしき良心とは?
チェインバリン(1)「ファロニダ」
[#改ページ]
さしあたり、私は自分をウィリアム・ウィルスンという名にしておくことにしよう。わざわざ本名をしるして、いま自分の前にあるきれいなページをよごすほどのことはない。その私の名前は、すでにあまりにわが家門の侮蔑の――恐怖の――嫌悪の対象でありすぎている。怒った風は、その類いなき汚名を、地球のはてまでも吹き伝えているではないか? おお、恥しらずな無頼漢のなかの無頼漢! ――現世にたいしてお前はもう永久に死んでいるのではないか? その名誉にたいして、その栄華にたいして、その燦然たる大望にたいして? ――そして、濃い、暗澹とした果てしのない雲が、とこしえにお前の希望と天国とのあいだにかかっているのではないか?
私はいまここで、たといそれができたにしても、自分の近年のなんとも言いようのない不幸と、許しがたい罪悪との記録を書きしるそうとはしまい。この時期――この近年――に背徳行為が急にひどくなったのであって、そのそもそものきっかけだけを語るのが、私のさしあたっての目的なのである。人間というものは普通は一歩一歩と堕落してゆくものだ。ところが、私の場合では、あらゆる徳が一時にマントのようにそっくり落ちてしまった。わりあいに小さな悪事から、私は大またぎにエラガバルス(2)だってやれないような大悪無道へ跳びこんだ。どうしためぐり合せで――どんな一つの出来事からこんな悪いことになったのか、私が語るあいだ、しばらく耳を貸していただきたい。死は近づく。それを前ぶれする影は、私の心をやわらげる。ほの暗い谷(3)を歩みながら、私は世の人々の同情を――むしろ憐れみをと言いたいのであるが――切望している。自分がいくらかは人間の力ではどうにもできない境遇の奴隷であったということを、私は世の人々に信じてもらいたいのだ。これから語ろうとする詳しい話のなかで、私のために、広漠とした罪過の砂漠のなかにいくつかの小さな宿命のオアシスを、捜し出してもらいたいのだ。以前にもこれほど大きな誘惑物は存在したではあろう。が、しかし、少なくともこんなふうに人間が誘惑されたことは前には決してなかった――たしかに、こんなふうに落ちこんだことは決してなかった――ということを認めてもらいたいのだ。――これは誰でも認めずにはいられないことであるが。とすると、こんなふうに苦しんだ人間はいままでに一人もなかったのであろうか? 実際、自分は夢のなかに生きてきたのではなかろうか? そして自分はいま、この世のあらゆる幻影のなかでももっとも怪奇なものの、恐怖と神秘との犠牲として死んでゆくのではなかろうか?
私は、想像力に富んで、しかもたやすく興奮する気質のために昔からずっと有名だった一族…