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外に出た友
そとにでたとも
作品ID2531
著者北条 民雄
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆28 病」 作品社
1985(昭和60)年2月25日
入力者遠藤貴
校正者今井忠夫
公開 / 更新2001-01-22 / 2014-09-17
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「二三年、娑婆の風にあたつて来るよ。」
 退院するY――を見送つて行くと、門口のところで彼はさう言つて私の手を握つた。
「うん、体、大切にしろ、な。」
 と言つて、私はYの手を握りかへしてやつた。それ以上は何も言ふことがなかつた。手を放すとYは柊の垣に沿つて駅の方へ歩いて行つた。
 Yの姿が見えなくなると、私はその足で眼科へ出かけた。Yとは、私はもう二年近い交遊をもつてゐる。彼は三年をこの病院で暮したが、病気の工合は余り良いやうではなかつた。私は彼の右腕の神経が小指ほどにも脹れ上つてゐるのを知つてゐる。眼科へ着くまでの間、私は彼が神経痛を始めて苦しみはせぬかと心配した。病院を出てはナルコポンやパントポンも思ふやうには注射出来ないに違ひない。
 眼科は医局の中ほどで外科と隣接してゐる。這入つて行くともう十四五名もが自分の番の来るのを待つてゐた。眼帯をかけたり、さうでないものは充血した赤い眼をしたりして、誰もまぶしさうに下を向いてゐた。半数は盲人で、他は盲目の一歩手前を彷徨してゐる人達である。私はそこで長い間待つた。
 私は右眼が充血して兎の眼のやうになつてゐたので、なるべくその眼は閉ぢてゐるやうにしてゐた。二三回ローソクの火でものを書いたりしたのがいけなかつたのである。私はひどく憂鬱であつた。
 番が来ると、私は暗室の中へ這入つて行つた。不用意に開いてゐた右眼に、強烈な電光がさして来て、私は急いで瞼をおろした。眼が痛んだ。
「ははあ、少し無理をしましたね。」
 と若い医者は言つて、瞼をひつくり返すと、二三滴、薬を注した。そして四五日休みなさいよと言つてくれた。たつた二三夜無理をしただけでもう充血したりするとすれば、私の眼もどうやら暗い方へ近づき始めたのであらう。盲目の世界がどつと眼の前に現はれて来たやうに思つた。眼帯をかけて貰ふと、私は片目になつて暗室を出て来た。
 部屋へ帰つて来ると、何時ものやうに机の前に坐つてみた。目ぐすりがしみて来て痛んだ。本を読むことも書くことも出来ないのでそのまま横になつたが、私はそろそろ退屈になつて来だした。バットを抜いて一本つけてみたが、煙は苦く咽喉にさして頭が重くなつた。
 飯を食へば机の前に坐り、書けなくとも昼まではじつとしてゐ、昼食後ちよつと散歩をしてまた机の前に坐つて夜まで過す、これが私の毎日の生活の全部だつたが、この単純な生活の中で本を読んだり書いたりしてはいけないとなると、私の生活は大きな穴になつた。私は部屋を出ると、花園の中などを歩いてみたが、空虚だつた。花は少しも美しくなかつた。立体的な肉感がちつともなく、凡てが平面的に見えた。花びらは、青や赤や黄の色彩だけが浮いて見え、何時もより小さく暗かつた。
 この病院へ入院してからの二年近くを思ひ浮べた。それも真暗な穴のやうに思はれる。片目になつたから何もかもがそんな風に…

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