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執達吏
しったつり
作品ID2562
著者与謝野 寛
文字遣い新字旧仮名
底本 「読売新聞」 読売新聞東京本社
1909(明治42)年3月14日~17日連載
入力者武田秀男
校正者門田裕志
公開 / 更新2003-02-10 / 2014-09-17
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

    (壱)

眞田保雄の事を此の十年来何かに附けて新聞雑誌で悪く書く。保雄は是と云つて私行上に欠点のある男でも無く、さりとて文学者としての彼の位置が然う文壇の憎悪を買ふ程に高くも無い。其の癖新体詩家である保雄は不断相応に後進の韻文作家を引立てゝ、会を組織する、雑誌を発行する、其等の事に金銭と労力を費して居る事は一通で無い。彼が高利貸に七八千円の債務を負うて此の八九年間首の廻らぬのも全く後進の為に柄に無い侠気を出すからだ。彼とても芸妓と飲む酒の甘い事は知つて居やう、併し一度でも然う云ふ場所へ足を向けた事の無いのは友人が皆不思議がつて居る。彼は一月前迄費用の掛らぬ市外の土地を撰んで六円五拾銭の家賃の家に住んで居た。彼は何等の極つた収入も無い身の上だ。是が小説家であるなら今時駆出しの作家でも一箇月に三拾円や五十円は取るのだもの、文壇の人に成つて拾年以上も経て居る。保雄が毎月の生活に困る様な事も無からうが、新体詩は然う買つて呉れる所も無いから保雄の方でも自分から進んで売らうとは仕無い、偶ま雑誌社からでも頼まれゝば書くが、其とても一週間近く掛つて苦心した作が新聞小説家の一回分の稿料の半分にも成るのぢや無い。で保雄はいつも貧乏で加之に高利貸の催促に苦められて居る。
保雄の妻美奈子は有名なる歌人だ。もとは大坂の町家の娘で芝居の変り目には両親が欠かさず道頓堀へ伴れて行く程であつたが、保雄の妻と成つて以来良人と一緒に貧しい生活に堪へて里家から持つて来た丈の衣類は皆子供等の物に縫ひ換へ、帯と云ふ帯は皆売払つて米代に為て、自分は洗洒しの襤褸の下る様な物計り着て居る。四人の子供が交代に病気をするので其の介抱疲れや、新聞社と雑誌社から頼まれて夜分遅くまで投書の和歌を添削する所から其の安眠不足などの所為で、近年滅切り身体が痩せこけて顔色も青褪めて居る。妻の此の生活に疲れた状が保雄の心には気の毒で成らぬけれども、此の境遇から救ひ出す方法も附か無いので腑甲斐ない良人だと心の内で泣乍ら已むを得ず其日其日を無駄に送るより外は無かつた。実際妻が身体を壊す迄働いて月々纔に得る参拾伍六円の収入が無かつたなら眞田の親子六人は疾くに養育院へでも送られて居たであらう。此の妻の収入があるので米代と薪炭費丈は先づ支へる事が出来た。其上妻は暇の無い中から時々小説とかお伽噺とか女子書翰文とか自分の歌集とかを作つて、其の原稿料で家賃の滞りや薬価や牛乳代の足しにする。保雄も会の方から会員の謝礼を毎月合せて拾五円から弐拾円位貰はぬでは無いが、会の雑誌の費用に出して仕舞ふから一文半銭自分の身に附くのでは無かつた。
『貴方、なんとか御考が附きませんか。』
美奈子は去年の夏の末頃到頭堪へ切れ無いで斯う言ひ出した。
『浪人を止めて己の身売を為ても宣いが、評判の善くない己の事だから世話の仕手も有るまいて。』
神経質の妻は眉と…

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