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樹木とその葉
じゅもくとそのは
作品ID2630
副題31 故郷の正月
31 こきょうのしょうがつ
著者若山 牧水
文字遣い旧字旧仮名
底本 「若山牧水全集 第七卷」 雄鷄社
1958(昭和33)年11月30日
入力者柴武志
校正者浅原庸子
公開 / 更新2001-06-14 / 2014-09-17
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は日向國耳川(川口は神武天皇御東征の砌其處から初めて船を出されたといふ美々津港になつてゐます)の上流にあたる長細い峽谷の村に生れました。村の人は多く材木とか椎茸とか木炭とかいふ山の産物で生活してゐるのです。
 ですから、正月といつても淋しいものでした。今でもまださうではないかと思ひますが、村には新の正月と舊の正月とがありました。新の正月はたゞ學校でやる位ゐのことでしたが、その新年式の式場に飾るために野生の梅の花を學校の裏にある谷間にとりに行つたことを私はよく覺えてゐます。何でも二度ほど取りに行つたと思ひます。先生に連れられて、鉈を持つて、四五人の者が狹い谷間のあちらこちらに咲いてゐる眞白な花を探して歩いた記憶が不思議にはつきりと殘つてゐます。子供心にもさうした谷間に春の來るといふことがよく/\嬉しかつたのでせう。それにその頃既に梅が咲くといふ樣な季候違ひの事實もその印象を深めてゐるに違ひありません。山の中と云つても海岸から五六里しか離れてゐず、年中雪を見ることのない程暖かな土地でした。
 私の父は醫者で、その頃村で新人でした。で、門松をば必ず新の正月に立てました。この松の切出しには必ずまた父と私が出かけました。背戸から出て小さな岡を越えると其處に一つの谷が流れて兩岸にやゝ平な野原があり、其處に松ばかり茂つてゐる一箇所がありました。父の好みはなか/\にむつかしく、容易にこの木がいゝとは言ひません。あとではいつも私と喧嘩をしました。さうして辛うじて伐り倒した松があまりに大きくて我等の手に合はず、いろ/\の目標をしておいてあとで下男をとりによこしたりしました。この松伐りも今ではなつかしい思ひ出です。それに父はなか/\のきまり家で、多少にせよ新の正月にも餅をつかせましたので、舊の正月の時と二度餅の喰べらるゝのも幼い私の自慢であり喜びでありました。
 新の元旦には母など一向に父を相手にしませんので、父は私を相手に『元日』の屠蘇を祝ひました。他の者が平常着なのに父と私とだけ(私は男の子としては一人子なのです。父の四十二の時の誕生だと云ひますから齡もたいへん違つてゐたのです)が紋附を着て、廣い座敷に向ひ合つて坐るのがいかにも變でした。
 舊の正月はそれでも家中たいへんです。それに村ではすべての勘定事が盆と節季の二度勘定にきまつてゐますので、半年分の藥代を村の者がみな大晦日に持つて來るのです。來た者には必ず酒を出す習慣で、どうかすると二三十人も落合つて飮み出すといふ騷ぎになり、父も母も私たちまでもその夜は大陽氣でした。
 舊正月は村全體の正月であるが、これとてたゞ業を休んで酒を飮む、[#挿絵]禮をするといふだけで別に變つた事もありませんでした。我等子供たちの遊戲ですが、晴れゝばそとへ出て『根つ木』といふ遊びをした。生木の堅いのを一尺か二尺に切り、先を尖らせて地へ互ひに打…

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