えあ草紙・青空図書館 - 作品カード
楽天Kobo表紙検索
![]() 『わがはいはねこである』げへんじじょ |
|
作品ID | 2672 |
---|---|
著者 | 夏目 漱石 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集第十巻」 筑摩書房 1972(昭和47)年1月10日 |
入力者 | Nana ohbe |
校正者 | 米田進 |
公開 / 更新 | 2002-05-27 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 1 ページ(500字/頁で計算) |
広告
広告
「猫」の下巻を活字に植えて見たら頁が足りないから、もう少し書き足してくれと云う。書肆は「猫」を以て伸縮自在と心得て居るらしい。いくら猫でも一旦甕へ落ちて往生した以上は、そう安っぽく復活が出来る訳のものではない。頁が足らんからと云うて、おいそれと甕から這い上る様では猫の沽券にも関わる事だから是丈は御免蒙ることに致した。
「猫」の甕へ落ちる時分は、漱石先生は、巻中の主人公苦沙弥先生と同じく教師であった。甕へ落ちてから何カ月経ったか大往生を遂げた猫は固より知る筈がない。然し此序をかく今日の漱石先生は既に教師ではなくなった。主人苦沙弥先生も今頃は休職か、免職になったかも知れぬ。世の中は猫の目玉の様にぐるぐる廻転している。僅か数カ月のうちに往生するのも出来る。月給を棒に振るものも出来る。暮も過ぎ正月も過ぎ、花も散って、また若葉の時節となった。是からどの位廻転するかわからない、只長えに変らぬものは甕の中の猫の中の眼玉の中の瞳だけである。
明治四十年五月