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余と万年筆
よとまんねんひつ |
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作品ID | 2675 |
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著者 | 夏目 漱石 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」 筑摩書房 1972(昭和47)年1月10日 |
入力者 | Nana ohbe |
校正者 | 米田進 |
公開 / 更新 | 2002-05-27 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 6 ページ(500字/頁で計算) |
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此間魯庵君に会った時、丸善の店で一日に万年筆が何本位売れるだろうと尋ねたら、魯庵君は多い時は百本位出るそうだと答えた。夫では一本の万年筆がどの位長く使えるだろうと聞いたら、此間横浜のもので、ペンはまだ可なりだが、軸が減ったから軸丈易えて呉れと云って持って来たのがあるが、此人は十三年前に一本買ったぎりで、其一本を今日まで絶えず使用していたのだというから、是がまあ一番長い例らしいと話した。して見ると普通の場合ではいくら残酷に使っても大抵六七年の保証は付けられるのが、一般の万年筆の運命らしい。一本で夫程長く使えるものが日に百本も出ると云えば万年筆を需用する人の範囲は非常な勢を以て広がりつつあると見ても満更見当違いの観察とも云われない様である。尤も多い中には万年筆道楽という様な人があって、一本を使い切らないうちに飽が来て、又新しいのを手に入れたくなり、之を手に入れて少時すると、又種類の違った別のものが欲しくなるといった風に、夫から夫へと各種のペンや軸を試みて嬉しがるそうだが、是は今の日本に沢山あり得る道楽とも思えない。西洋では煙管に好みを有って、大小長短色々取り交ぜた一組を綺麗に暖炉の上などに並べて愉快がる人がある。単に蒐集狂という点から見れば、此煙管を飾る人も、盃を寄せる人も、瓢箪を溜める人も、皆同じ興味に駆られるので、同種類のもののうちで、素人に分らない様な微妙な差別を鋭敏に感じ分ける比較力の優秀を愛するに過ぎない。万年筆狂も性質から云えば、多少実用に近い点で、以上と区別の出来ない事もないが、強いて無くても済むものを五つも六つも取り揃えるのだから今挙げた種類の蒐集狂と大した変りのある筈がない。ただ其数に至っては、少なくとも目下の日本の状態では、西洋の煙管気狂の十分の一も無かろうと思う。だから丸善で売れる一日に百本の万年筆の九十九本迄は、尋常の人間の必要に逼られて机上若くはポッケット内に備え付ける実用品と見て差支あるまい。して見ると、万年筆が輸入されてから今日迄に既に何年を経過したか分らないが、兎に角高価の割には大変需要の多いものになりつつあるのは争う可らざる事実の様である。
万年筆の最上等になると一本で三百円もするのがあるとかいう話である。丸善へ取り寄せてあるのでも既に六十五円とかいう高価なものがあるとか聞いた。固より一般の需要は十円内外の低廉な種類に限られているのだろうが、夫にしても、一つ一銭のペンや一本三銭の水筆に比べると何百倍という高価に当るのだから、それが日に百本も売れる以上は、我々の購買力が此の便利ではあるが贅沢品と認めなければならないものを愛玩[#「あいかん」はママ]するに適当な位進んで来たのか、又は座右に欠くべからざる必要品として価の廉不廉に拘わらず重宝がられるのか何方かでなければならない。然し今其源因を一つに片付けるのは愚の至として、又事実の…