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私の経過した学生時代
わたしのけいかしたがくせいじだい
作品ID2677
著者夏目 漱石
文字遣い新字新仮名
底本 「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」 筑摩書房
1972(昭和47)年1月10日
初出「中学世界」1909(明治42)年1月1日
入力者Nana ohbe
校正者米田進
公開 / 更新2002-05-27 / 2014-09-17
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     一

 私の学生時代を回顧して見ると、殆んど勉強という勉強はせずに過した方である。従ってこれに関して読者諸君を益するような斬新な勉強法もなければ、面白い材料も持たぬが、自身の教訓の為め、つまり這麼不勉強者は、斯ういう結果になるという戒を、思い出したまま述べて見よう。
 私は東京で生れ、東京で育てられた、謂わば純粋の江戸ッ子である。明瞭記憶して居らぬが、何でも十一二の頃小学校の門(八級制度の頃)を卒えて、それから今の東京府立第一中学――其の頃一ツ橋に在った――に入ったのであるが、何時も遊ぶ方が主になって、勉強と云う勉強はしなかった。尤も此学校に通っていたのは僅か二三年に止り、感ずるところがあって自ら退いて了ったが、それには曰くがある。
 此の中学というのは、今の完備した中学などとは全然異っていて、その制度も正則と、変則との二つに分れていたのである。
 正則というのは日本語許りで、普通学の総てを教授されたものであるが、その代り英語は更にやらなかった。変則の方はこれと異って、ただ英語のみを教えるというに止っていた。それで、私は何れに居たかと云えば、此の正則の方であったから、英語は些しも習わなかったのである。英語を修めていぬから、当時の予備門に入ることが六カ敷い。これではつまらぬ、今まで自分の抱いていた、志望が達せられぬことになるから、是非廃そうという考を起したのであるが、却々親が承知して呉れぬ。そこで、拠なく毎日々々弁当を吊して家は出るが、学校には往かずに、その儘途中で道草を食って遊んで居た。その中に、親にも私が学校を退きたいという考が解ったのだろう、間もなく正則の方は退くことになったというわけである。

     二

 既に中学が前いう如く、正則、変則の二科に分れて居り、正則の方を修めた者には更に語学の力がないから、予備門の試験に応じられない。此等の者は、それが為め、大抵は或る私塾などへ入って入学試験の準備をしていたものである。
 その頃、私の知っている塾舎には、共立学舎、成立学舎などというのがあった。これ等の塾舎は随分汚いものであったが、授くるところの数学、歴史、地理などいうものは、皆原書を用いていた位であるから、なかなか素養のない者には、非常に骨が折れたものである。私は正則の方を廃してから、暫く、約一年許りも麹町の二松学舎に通って、漢学許り専門に習っていたが、英語の必要――英語を修めなければ静止していられぬという必要が、日一日と迫って来た。そこで前記の成立学舎に入ることにした。
 この成立学舎と云うのは、駿河台の今の曾我祐準さんの隣に在ったもので、校舎と云うのは、それは随分不潔な、殺風景極まるものであった。窓には戸がないから、冬の日などは寒い風がヒュウヒュウと吹き曝し、教場へは下駄を履いたまま上がるという風で、教師などは大抵大学生が学資を得るため…

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