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文芸は男子一生の事業とするに足らざる乎
ぶんげいはだんしいっしょうのじぎょうとするにたらざるか
作品ID2681
著者夏目 漱石
文字遣い新字新仮名
底本 「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」 筑摩書房
1972(昭和47)年1月10日
初出「新潮」1908(明治41)年11月1日号
入力者Nana ohbe
校正者米田進
公開 / 更新2002-05-27 / 2014-09-17
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 文芸が果して男子一生の事業とするに足るか何うかと云うことに答える前に、先ず文芸とは如何なるものであるか、と云うことを明かにしなければならぬ。文芸も見ように依って色々に見られるから、足るか足らぬかと争う前に、先ず相互の間に文芸とは如斯ものであると定めてかからねばなるまい。自分の云う文芸とは斯う云うものである。貴方の云う文芸とは然う云うものか、では男子一生の事業とするに足るとか、足らないとか論ずべきであって、若し、相互の間に文芸とは斯う云うものであると云うことを定めてかからない以上、其論は何時まで経っても終ることはない。それでは文芸とは如何なるものぞと文芸の定義を下すと云うことは、又些っと難かしいことで、とてもおいそれとそんな手早く出来ることではない。兎に角斯う云う問題は答えるに些っと答え難い。文芸其物を明らかにしてから言わねばならぬ。それなら、私は明らかであるか何うかと言えば、私は斯う答える。何人も満足せしめ得る程に明らかに自分は考えて居ないかも知れない、けれ共自分を満足せしむる丈けには、相当の考えを持って居る意である。其考えに依って此の問題を判断すると何うかと云うと、例の如く面倒くさくなる。斯う斯う斯うであるからして、私は文芸を以て男子一生の事業とするに足る、其理由を一々挙げて来なければならぬから、些っと手軽くは話されない。中々難かしくなる。然し、其理由は抜きにして、結論だけ言えと云うなら訳はなくなる。自分の文芸に対する考えに基づいて文芸と云う其職業を判断して見ると、世間に存在して居る如何なる立派なる職業を持って来て比較して見ても、それに劣るとは言えない。優るとは言えないかも知れないが、劣るとは言えない。文芸も一種の職業であって見れば、文芸が男子一生の事業とするに足らなくて、政治が男子の事業であるとか、宗教が男子一生の事業でなくて、豆腐屋が男子一生の事業であるとか、第一職業の優劣と云うことが何う云う標準を以て附けられるか、甚だ漠然たるもので、其標準を一つに限らない以上は、お互いに或る標準を打ち立てた上でなくては優劣は付くものでない。一般から標準を立てないで職業と職業とを比較するならば、総べての職業は皆同じで、其間に決して優劣はない。職業と云うことは、それを手段として生活の目的を得ると云うことである。世の中に存在する所の総ゆる職業は、其職業に依って、其職業の主が食って行かれると云うことを証明して居る。即ち、食って行かれないものなら、それは職業として存在し得られない。食って行ければこそ、世の中に職業として存在して居るのである。食って行き得る職業ならば、其職業は、職業としての目的を達し得たものと認めなければならぬ。で、職業としての目的を達し得た点に於て、総ゆる職業は平等で、優劣なぞのある道理はない。然う云う意味で言えば。車夫も大工も同じく優劣はない訳である。その…

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