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極楽
ごくらく |
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作品ID | 2695 |
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著者 | 菊池 寛 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「菊池寛文學全集 第三巻」 文藝春秋新社 1960(昭和35)年5月20日 |
入力者 | 土屋隆 |
校正者 | 美濃笠吾 |
公開 / 更新 | 2010-12-05 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 14 ページ(500字/頁で計算) |
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京師室町姉小路下る染物悉皆商近江屋宗兵衛の老母おかんは、文化二年二月二十三日六十六歳を一期として、卒中の気味で突然物故した。穏やかな安らかな往生であった。配偶の先代宗兵衛に死別れてから、おかんは一日も早く、往生の本懐を遂ぐる日を待って居たと云ってもよかった。先祖代々からの堅い門徒で、往生の一義に於ては、若い時からしっかりとした安心を懐いて居た。殊に配偶に別れてからは、日も夜も足りないようにお西様へお参りをして居たから、その点では家内の人達に遉はと感嘆させたほど、立派な大往生であった。
信仰に凝り固まった老人の常として、よく嫁いじめなどをして、若い人達から、早く死ねよがしに扱われるものだが、おかんはその点でも、立派であった。一家の者は、此の人のよい、思いやりの深い親切な、それで居て快活な老婦人が、半年でも一年でも、生き延びて呉れるようにと、祈らないものはなかった。従って、おかんが死際に、耳にした一家の人々の愁嘆の声に、微塵虚偽や作為の分子は、交って居ない訳だった。
おかんは、浄土に対する確かな希望を懐いて、一家の心からの嘆きの裡に、安らかな往生を遂げたのである。万人の免れない臨終の苦悶をさえ、彼女は十分味わずに済んだ。死に方としては此の上の死に方はなかった。死んで行くおかん自身でさえ、段々消えて行く、狭霧のような取とめもない意識の中で、自分の往生の安らかさを、それとなく感じた位である。
宗兵衛の長女の今年十一になるお俊の――おかんは、彼女に取っては初孫であったお俊を、どんなに心から愛して居たか分らなかった――絶え間もない欷り泣の声が、初は死にかけて居るおかんの胸をも、物悲しく掻き擾さずには居なかった。が、おかんの意識が段々薄れて来るに従って、最愛の孫女の泣き声も、少しの実感も引き起さないで、霊を永い眠にさそう韻律的な子守歌か何かのようにしか聞えなくなってしまって居た。枕許の雑音が、だん/\遠のくと同時に、それが快い微妙な、小鳥の囀か何かのように、意味もない音声に変ってしまって居た。その中に、鉦の音が何時とはなく聞えて来た。その鉦の音が、彼女の生涯に聞いた如何なる場合の鉦の音と比べても、一段秀れた微妙なひびきを持って居た。御門跡様が御自身叩かれた鉦の音でも、彼女をこうまで有難く快くはしなかった。その鉦の音が後の一音は、前の一音よりも少しずつ低くなって行った。感じられないほどの、わずかな差で段々衰えて行った。それが段々衰えて行って、いつしか消えてなくなってしまったと同時に、おかんの現世に対する意識は、烟のように消失してしまって居た。
×
再びほんのりとした意識が、還って来る迄に幾日経ったか幾月経ったか、それとも幾年経ったか判らなかった。ただおかんが気の付いた時には、其処に夜明とも夕暮とも、昼とも夜とも付かない薄明りが、ぼんやりと感じら…