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モスクワの姿
モスクワのすがた
作品ID2746
副題あちらのクリスマス
あちらのクリスマス
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第九巻」 新日本出版社
1980(昭和55)年9月20日
初出「婦人サロン」1931(昭和6)年12月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2002-11-27 / 2014-09-17
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 モスクワに着いてやっと十日めだ。
 一九二七年のクリスマスの朝だが、どういうことがあるのか自分たちには見当がつかない。
 ソヴェト同盟で、街じゅうが赤旗で飾られるのは春のメー・デー、十一月の革命記念祝祭などだ。
 クリスマスそのものが、誰の降誕祭かと云えばイエス・キリストで、眼の丸かった赤坊ウォロージャ(レーニン)の誕生日ではない。ロシア語はろくに読めないが、国立出版所で插画が面白いから買った本が一冊ある。題は「聖書についての愉快な物語」。第一頁をやっとこさ読んで見たら、こんな風に書いてあった。
「諸君。一冊の本がある。それを教会で坊主が読むときには、みんな跪いて傾聴する。開けたり閉めたりする時には、一々接吻する。その本の名は聖書だ。
 ところで、聖書には、神の行った実に数々の奇蹟が書かれている。神は全智全能だと書かれている。けれども、妙なことが一つある。それは、その厚い聖書を書いたのは神自身ではない。みんな神の弟子たちだということだ。ヨブだのマタイだのと署名して弟子が書いている。全智全能だと云いながら、して見ると神というものは本はおろか、自分の名さえ書けなかった明きめくらだったんだ。云々」
 ――モスクワのどの店頭にだって、Xマス売出しはない。
 厳冬で、真白い雪だ。家々の煙出しは白樺薪の濃い煙を吐き出している。赤と白とに塗った古い大教会のあるアルバート広場へ行ったら、雪を焚火のおきでよごして、門松売りのようにクリスマスの樅の木売りが出ている。女連が買物籠を片腕にひっかけ、片っ方の手で頻りに大きい樅の枝をひっぱり出しては、値切っている。
 自分たちは、ホテル暮しだ。
 その上、樅の木にローソクをつけて、三鞭酒をのむというような習慣は子供のときから持ち合わせていない。
 橇にのっかって、別の、そこの廊下には絨毯を敷いてあるホテルへ行った。
 黒田礼二がドイツから来ている。
 コスモポリタンになっている黒田礼二はブルジョア・ヨーロッパの感情でクリスマスというものをハッキリ感情するらしい。
 今夜ローソクが点る樅の木を買って君達のホテルへ行くから、お茶でものませて、ということになった。
 自分は夕方、紙切れを握って塩漬キャベジの匂いのする食糧販売店の減った石段をトン、トン、トンと下りて行った。
 紙切れを見ては、あやしい発音でイクラを買った。漬胡瓜を買った。
 ハムを買った。
 黒田君の買って来た樅の木は小ぢんまり植木鉢におさまり、しかも二寸ぐらいの五色のローソクを儀式どおり緑の枝々につけている。
 灯がついたら銀のピラピラが樅の枝で氷華のように輝いてキレイだ。
 夜がふけて見たら、サモワールの湯気で、凍った窓にそれよりもっと綺麗な氷華がついていた。

 一九二八年のクリスマスは、クリスマスということを忘れてすごした。
 雪をよごして零下十二度の夜焚火をする樅…

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