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ジイドとそのソヴェト旅行記
ジイドとそのソヴェトりょこうき |
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作品ID | 2759 |
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著者 | 宮本 百合子 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「宮本百合子全集 第十一巻」 新日本出版社 1980(昭和55)年1月20日 |
初出 | 「文芸春秋」1937(昭和12)年2月号 |
入力者 | 柴田卓治 |
校正者 | 米田進 |
公開 / 更新 | 2003-03-13 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 20 ページ(500字/頁で計算) |
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『中央公論』の新年号に、アンドレ・ジイドのソヴェト旅行記(小松清氏訳)がのっている。未完結のものであるが、あの一文に注目をひかれ、読後、様々の感想を覚えた読者は恐らく私一人にとどまらなかったであろうと思う。
間もなく、去る一月六日から四日間、『報知新聞』の学芸欄に「ジイドの笑いと涙」という題で、『プラウダ』が社説として発表したジイドのソヴェト旅行記批判が、山村房次氏によって訳載された。
その文章は何月何日の『プラウダ』に出たものであったのか、執筆者の署名があったのか無かったのか、完訳であるのか抄訳であるのかそれ等の点については、説明されていない。
ジイドの旅行記と『プラウダ』の批評とは、その性質上、対立的なものとして我々の前に現れているのである。今日の如き世界事情の裡に生きる一人の日本の作家としてジイドの旅行記を読むと、ジイドが自身の作家的特質倒れになって、結局新社会の存在が語っている歴史的現実を客観的につかんでいないことが感じられる。『プラウダ』の批評は、対立の益々激化している世界の情勢並にトロツキイズムとの闘争の必要の上に立って、政治的な新聞の立場から執筆されている。私たちは更に時代的・性格的ポーズのつよい作家ジイドの諸矛盾の内から独自性にふれて分析し、批評の本質の真理を理解しようとする要求を禁じ得ない。
アンドレ・ジイドは一九三六年六月、彼より一つ年上の輝しい僚友マクシム・ゴーリキイの病篤しという報に驚いて、飛行機でU・R・S・Sへ赴いた。ジイドが到着した翌日ゴーリキイの生涯は終った。ジイドは、赤い広場で行われたゴーリキイの感動的な葬儀に参加し、衷心からソヴェトの大衆に向って新世界に対する自己の傾倒を語り、それから約二ヵ月ソ連邦のあちらこちらを旅行した。「鋼鉄はいかに鍛えられたか」の著者、オストロフスキーをもわざわざ南露に訪ね、自分の生命の最後の一滴をも人類の発展のために注ぎつくそうとしているこの若く熱烈な不具の新人間の高貴な額に、尊敬と愛着との涙をもって接吻した。
特にフランスへ帰ろうとしていたセバストーポリの宿で、ジイドは、彼の親愛な若い友人ウージェヌ・ダビを、猩紅熱で失った。時間としては短い二ヵ月余のソヴェト初旅行は、それ故終始、敏感なジイドにとって或る悲痛な感情の緊張をともなった印象の裡にまとめられたものであると云えよう。彼らしく、「狭き門」の作者らしく、ジイドは、ゴーリキイやダビや、オストロフスキー、その他新社会の建設の中に生命を捧げた人々への無限の愛を表すために、自身のソヴェト旅行記をますます「いつもよしとして称讚したいものにたいして、最も厳格である」という自分の精神に従って「何らの表裏も手加減もなく真情を傾けてソヴェトを語り」そのことによってソヴェトにより多く貢献し、更に「ソヴェトよりもっと重大な」人類の運命と文化とのために貢…