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![]() こどものためにかくははたち |
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作品ID | 2762 |
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副題 | 「村の月夜」にふれつつ 「むらのつきよ」にふれつつ |
著者 | 宮本 百合子 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「宮本百合子全集 第十一巻」 新日本出版社 1980(昭和55)年1月20日 |
初出 | 「文学案内」1937(昭和12)年3月号 |
入力者 | 柴田卓治 |
校正者 | 米田進 |
公開 / 更新 | 2003-03-05 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 9 ページ(500字/頁で計算) |
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私のところに、今年四つになる甥が一人いる。汽車や自動車、飛行機などの絵本が面白いさかりで、縁側の障子を閉めたこっちで、聞いていると、母親をつかまえて、ああちゃんポッポ! ね? など、片言に話し、それに答えて母親がまたびっくりするような上手さで、いろいろこの小さい子供が往来で見聞して来ているものや子供をよろこばせたこまごました印象と結びつけ、電車の物語、自動車の物語をしてやっている。
私は、母の愛情から自然に湧く心持の豊かさ、話しのたくみさに、非常に美しさを感じつつ、それを聴いている。ある日私のわきで、やっぱりそういう光景を眺めていたその小さい子の父である私の弟が、でも姉さん、おかしいもんだねえ、僕がまだ小さかった時分、何だか一冊絵の本があって、それをおっかさんが話してくれるんだけど、面白くてたいへん気に入っていたんだ。そうしたら、おっかさんのいない晩があってね、女中にせがんで同じその話をよんで貰ったら、まるで違うのさ。ちっともいつものように面白くないし、まるで全体が別ものなのさ。どうしたんだろうと思ってひどく不思議だったけど、今考えて見れば、おっかさんが、子供に分るようにうまくこしらえてよんでいてくれたんだねえ。と追懐をもって語ったことがあった。
私たちが小さかった頃の読物は巖谷小波が筆頭で、どれもみな架空の昔風なお伽話であった。さもなければ、継母、継子の悲惨な物語か曾我兄弟のような歴史からの読物である。普通の子供が毎日経験している日常生活そのものを題材としてとりあげて、その中から子供の心に歓びや緊張、努力、風情、健全な想像力をひき出してゆくような物語というものは、私の子供時代にはもちろんなかったし、現在でもまだ数少いのではないだろうか。
ソヴェト同盟の文化、文学の建設は、さまざまの過程を経て今日先進的な水準をもっているのであるが、子供のための文学の問題は、その後どう解決され、進展しているであろうかと興味を動かされる。私がモスクワにいたのは一九三〇年の暮までであった。当時、文学運動に関する討論の一部として児童文学のことが論議され、それがある人のその文学の到達点にまでいたっていないことについて批判が行われていた。少年らのグループが作家の団体へ、あなた方の文学上の才能を、未来の担い手であるわれわれのためにもっと十分発揮してくれ、という公開状をよせたりして、この問題は活溌な注目の下にあった。この場合は、もちろん、昔の化物話や泥棒などではない、新しい社会に育っている子供らの生活とその心持にぴったりするような、現実的であって同時に子供の溌剌たる想像力を満足させる文学を求めているのであった。
イギリスは従来、子供のための文学の分野では代表的な作品を出しているところである。イギリスが大戦までは経済的に堅固であった中流生活の土台の上に立って、家庭生活というものを重…