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今日の文学に求められているヒューマニズム
こんにちのぶんがくにもとめられているヒューマニズム
作品ID2777
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十一巻」 新日本出版社
1980(昭和55)年1月20日
初出「文化評論」1937(昭和12)年7月創刊号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-03-07 / 2014-09-17
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 今日、文学の大衆化ということが非常に云われて来ている。かつてプロレタリア文学が、芸術の内容と表現における社会性との問題にふれて、従来の純文学と通俗文学とは質において異った階級の社会性に立つ文学として、文学の大衆性をとりあげた。当時の大衆という認識の内容の中心は労働者・農民におかれてあった。通俗文学はなるほど数の上では多勢によまれているであろうが、描かれている生活の現実は勤労生活をしている者の日常の悲喜を活々とうつしているのではない。都会の安逸な有閑者の生活に生じてくる恋愛中心の波瀾、それをめぐっての有閑者流な人情の葛藤の面白さにすぎない。勤労大衆の文学は、その内容も表現も勤労者の生活に即したものでなければならないという理解に立っていたのであった。
 純文学はこの時代、はっきりとした対立をもって、プロレタリア文学の運動が当時の発展の段階で努力の目標としている大衆化の観念と対峙していた。通俗文学の作者も自信をもって、通俗小説の彼らの所謂大衆的本質を固持していたのであった。
 今日、再び文学の大衆化が云われているのであるが、これは、かつてプロレタリア文学が独自の立場から、大衆性をとりあげた時代とは大いに趣を異にして来ている。あちこちで現在聞える大衆化の声は、主として従来プロレタリア文学に対して純文学を守って来ていた文学者の領域から響き出して来ている。これまでの純文学の作家の日常生活が余り特殊な文壇的或は技術的範囲に限られていた結果、そういう作家の社会的生活の経験の貧困は作品の質の著しい低下、瑣末主義を惹起した。一方、この四五年間における社会情勢の激動はこれまで純文学の読者であった中間層の急劇な経済事情の悪化をもたらした。経済事情の悪化は、原因として日常のこまかいものにまで及ぼしている増税、それに伴う物価の騰貴が直接のきっかけとなっており、増税のよって来るところの同じ源から、誰の胸に問うても明らかな思想的な一方的傾向の重圧がある。社会の事情は昨今まことに複雑である。民衆一般が手近に分りやすく知り得ない諸事情の錯綜の結果、或は率直に闡明され得るなら分明となるはずのところをそれが出来ない事情があるため、一層ものごとが複雑になっているというような、二重の複雑が平凡な民衆の生活の思いよらぬ心持の隅にまで影響している。
 従来の純文学の題材、手法は、こういう困難な日常におかれている人々の感情にぴったりしなくなった。作家の社会的孤立化に対する自覚と警戒、その対策が、文学の大衆化の呼声となって現れて来たのは、本年初頭からのことなのである。
 こういう事情でとりあげられているきょうの文学の大衆化の問題について、二つの問題が常にこんぐらがってもち出されて来ている。それは、文学の大衆化ということの本来の実体についての第一に行われるべき研究と、一人一人の作家が自分の芸術を大衆化してゆく…

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