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文芸時評
ぶんげいじひょう
作品ID2784
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十一巻」 新日本出版社
1980(昭和55)年1月20日
初出「報知新聞」1937(昭和12)年8月25~29日号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-03-25 / 2014-09-17
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

        時局と作家
          浪漫主義者の自己暴露

 九月の諸雑誌は、ほとんど満目これ北支問題である。そして、時節柄いろいろの形で特種の工夫がされているのであるが、いわゆる現地報告として、相当の蘊蓄をもってその人なりの視点から書かれているのは『改造』山本実彦氏の「戦乱北支を行く」である。同じ『改造』に吉川英治氏の「戦禍の北支雑感」がある。これを読むと吉川氏のようにある意味ではロマンティックな高揚で軍事的行動を想像の上で描き出していた人でも、悲惨の現実、複雑な国際関係の実際を目撃すると、締って来るところもあることがうかがえるのである。

 今度の事変がはじまってまだ間もなかった時、尾崎士郎氏が時局と作家の関係について感想を新聞に発表されていたことがあった。尾崎氏らしい感情の道をたどりつつも結論としては、どういう場合でも作家は作家らしく生きるべきであることを強調されていた。
 九月号の『新潮』では「戦争と文学者」という項を設けて、この問題をとり上げている。作家が益々作家として生きんとする欲求はここにもそれぞれの作家の持味をもって表現されているのである。ダヌンツィオが飛行機で飛びまわってヒロイズムを発揮したような時代からこのかた、今日の世界の動きとその間に生きる作家の気持とは、いか程多角的に、観察と沈着と現実に対する透徹した洞察力を求めるところへ進んで来ていることであろう。吉川氏でさえその場へ行って見ていれば祖界間のデリケートな関係を反映して、文章の表現にも誇張的な日頃の持味を制している。林房雄氏あたりが「いのち」というような紙面で、ソ連を相手に見立てて盛な身振りをしていることなど、氏が褒めて欲しいところが案外そうでもない気受けというようなことではなかろうか。

 ロマンチシズムがある社会的時期に示す危険性というものが人々の注目をひくようになったのは一二年来のことであるが、時局が紛糾したとき、作家らしくない作家的面を露出するのがかえって日頃、いわゆる抒情的な作風で買われている作家であることは、意味深い一つの警告であると思う。たとえば岡本かの子氏、林芙美子氏のある種の文章がそうである。一人の作家が、秘密な使につかわれたことそのことは作家としての名誉ではないのである。装飾でもないのである。そういう面で役に立つならば、役に立てた人に対する徳義として沈黙しているべきことでもあろう。
 現在北支で経過している事件の性質は、全く素人の一市民として見ても、世界歴史の上に豊富、多岐な内容をもっていることがわかる。歴史小説の題材としての蒋介石の生涯は東洋史の新たな本質を語るものであり、彼の波瀾重畳に作用を及ぼす力は尾崎秀実氏の「南京政府論」(中央公論)が分析されている種類だけのものではないであろう。今日及び明日の作家には、文学の大道から、今日おびただしい犠牲を通…

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