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明日の言葉
あすのことば
作品ID2792
副題ルポルタージュの問題
ルポルタージュのもんだい
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十一巻」 新日本出版社
1980(昭和55)年1月20日
初出「文芸首都」1937(昭和12)年12月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-03-01 / 2014-09-17
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 日本文学が近い将来に、どのような新たな要素をとりいれて進展してゆくだろうかという問題は、決して単純に答えられないことであると思う。日本の社会がこの先どうなって行くだろうかと訊かれて、簡単に答え得る人は、寧ろ今日の現実の裡で十分緻密な生活感情をもって複雑な日々の経験をとり入れている人であるとは云い難い実情である。現実は益々複雑な面を露出している。文学の歩みがその社会的相関の相貌をつよく反映して、種々な交錯の中に推移してゆかなければならないことも亦当然であろう。
 最近の数ヵ月間に、作家による戦争のルポルタージュが前面におし出されて来ている。一九三七年の日本文学について語るとき、この特徴的な現象は見落せない。そして、この現象は、本年のはじめ頃から日本の文学者の一部の間に特殊な傾向をもって強調されていた作家の社会性の拡大への要求、大人の文学への要求、国民の文学と称せられるものへの要求と根をつらねた文学的性格を具えている点においても、文学上相当の意味をふくんで立ちあらわれている事実である。上海その他へ出かけて、目下戦線ルポルタージュ専門の如き観を呈している林房雄氏が上述の提唱の首脳であったことは説明を要しない。文芸懇話会賞というものをその作「兄いもうと」に対しておくられた室生犀星氏は、自身の如く文学の砦にこもることを得たものはいいが、まだ他人の厄介になって文学修業なんか念願しているような青年共は、この際文学なんかすてて戦線にゆけ、と、自身の永く苦しかったその時代をさながら忘却失念したような壮々しい言をはいていられる。
 明日の日本文学は、今日の現実の一面に肩を聳かしているこのような気分との摩擦から、或る微妙にして興味ある展開を示すものと思われるのである。社会の歴史は、犠牲をもっている。文学の歴史も、このことに於ては等しい。
 世界文学の範囲にひろく眺めて、ルポルタージュというジャンルは、社会層のテムポ速い飛躍と複雑の増大によって、確に来るべき文学に従前よりは重大な場所を占めるであろうと考えられる。
 日本で報告文学が、小説以前の現実状況の報告文学としての意味で、作家と読者との一般的関心の前におかれたのは、今日から数年前、プロレタリア文学のもつ社会性の本質からであった。これまで文学の仕事というものは、今日にあっても室生氏が未だ業ならざる者は弾丸に当って死ぬがまし、と云っても自身その言葉に赤面しないですんでいるような、特殊な専門的修練を経て成り上った少数者の技術のように考えられていた。しかし、それならばと云って、所謂文学的専門術は身にそなえていなくても、人間として民衆として生きる日常の生活の中から、おのずから他の人につたえたいと欲する様々の感想、様々の生活事情が無いと云えるだろうか。あったことを語りたい。忘られない或ることを語りたい。小説ではなくあったままに、それを書…

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