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文学に関する感想
ぶんがくにかんするかんそう
作品ID2838
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十巻」 新日本出版社
1980(昭和55)年12月20日
初出「プロレタリア文学」日本プロレタリア作家同盟機関誌、1932(昭和7)年12月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-02-03 / 2014-09-17
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 林房雄が『中央公論』に連載している長篇小説「青年」は、近頃発表されたプロレタリア作家の作品の中でもっとも多くの論議を引き起したものの一つである。「青年」第一部が発表された当初から、ブルジョア作家、批評家たちは、これこそ読むにたえるプロレタリア文学の出現であるという風な批評を加えた。ある一部のブルジョア・ジャーナリストは「青年」を称讚し、さすがは林房雄である。構想雄大で行文はいわゆるプロレタリア的でない清新の美に満ちていると、さながらその社会的根拠とともに創造性をも喪失したブルジョア文学の陣営内に一人の精力的な味方を発見し得たかのような喝采を送った。
 わがプロレタリア作家同盟および文学に関心をもつ革命的大衆の「青年」に対する感想は、本質においてはそれらのブルジョア批評と明らかに対立する種類のものであった。林が長い獄中生活の後、直ちに野心的な大作に着手した意気に対して敬意を表すと同時に「青年」が一九三二年の封建的軍事的絶対主義日本における階級闘争が帝国主義戦争によって一層切迫した現段階において、特に近づきつつある人民革命の歴史的意義を規定する明治維新から取材し現実の闘争のもっとも必要なモメントとして描かるべき歴史小説としては、方法論的に不充分であり、階級性が稀薄であるという結論に概括される。
「青年」に対して、林はブルジョア文学、ジャーナリズム陣営からは褒められ、称讚され、プロレタリアの陣営からは疑問と批判とをもって迎えられた。砕いていえばあっちではいいといわれ、こっちでは悪いといわれたのである。けだし、あっちでいいといわれた理由が、「青年」のたくましい革命的迫力によって敵ながらあっぱれなものであると現代日本のブルジョア反動文学者群の世界観を局部的にでも撃破克服した点にあるのではなく、逆にプロレタリア文学の中からでもこれくらい俺らの口にかなう作品も出るのだと、彼らに卑小な自己満足を味わせた点に根拠している以上、そのような称讚は林にとってまさに屈辱であらねばならぬ。
『プロレタリア文学』十月号には林の創作に関して二つの論文がのっている。亀井勝一郎の「林房雄の近業について」と徳永直の「林の『青年』を中心に」とである。亀井の論文は林の近業をとおしてプロレタリア作家としての林の最近の発展について論じ、作家林を核心とし一般プロレタリア文学および同盟の問題にもふれている。
 亀井の論文はおそらく忽卒の間に書かれたものであったろう。一応林の発展の方向がこんにちの国際的な階級闘争の重大なモメントから逸脱したものであること、階級的分析に対する無関心が諸作に現れ、それは林が「あらゆる非文学的なもの、卑俗なものから純粋になろうと努力」したが、その努力が「階級闘争の新たな段階の中で」されず「文学の党派性のかわりに、文学の純粋性が持ちこまれている」結果になったことを指摘している。
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