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問に答えて
といにこたえて |
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作品ID | 2862 |
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著者 | 宮本 百合子 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「宮本百合子全集 第十巻」 新日本出版社 1980(昭和55)年12月20日 |
初出 | 「文芸通信」1934(昭和9)年12月号 |
入力者 | 柴田卓治 |
校正者 | 米田進 |
公開 / 更新 | 2003-02-13 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 10 ページ(500字/頁で計算) |
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この三四年の間、小説を書かないのは何故であるか。そういう問いが記者によって出された。
私の今の状態から云えば、この問いの中で書かないと云われているところは既に書かなかったという、文法の上では過去の形でされる方がふさわしいし、又全く小説を書かなかったというわけでもないが、質問そのものは面白く思った。
或る作家が、書く、書かないという現象をそれぞれについて見ると、一口で片づけきらぬ内容がある。盛に書くが、作家としての真の発展という視点に立って見るとそれは衰退への道を辿っている場合もあり、雑誌の上に目立つ作品は書かぬが、生活的にはその期間に却ってその作家にとって大切な成長がされているという場合もある。私は、自分の場合は、後の部に属す性質をもったものであったと考えている。
私が、旧作家同盟に参加した頃、或る種の人達は、片岡鉄兵がしたと同じように私も早速ブルジョア・インテリゲンツィア作家として持っていた文学上の腕をそのまま活用して、いろいろな作品を書いて行くことと予想したらしく考えられる。そのとおりに実際は進まず、二年も三年も私が小説らしい小説を書かなかった結果、当時の周囲の事情との関係もあり、反動的な見方で私についてのこの現象を説明する人があった。それらの人々は私の階級的移行が作家として愚かな行為であるという見解を示したのであった。今までいた場所にいて柔順しく身の廻りのことでも書いていればよいものをなまじっか新しい運動に入ったから勝手が違って書けないという風に理解した人もあったらしいし、また或る一部には、恰度小林多喜二があのように短かい生涯を終ったについて、まるで当時の作家同盟が彼をあのように痛憤すべき最終に立ち到らせたと云ったと同じく、私も作家同盟で下らぬ仕事にこき使われているから書けないと考えた人もあったらしい。
作家同盟の活動に就いて云えば、それが広い階級運動の持っている様々な歴史的条件によって、ある時代に部分的な指導上の誤りがあったし、作家がものを書くために不便な条件もあったことは事実である。けれども私は今日自分がプロレタリヤ作家として落ちついた一つの確信をもってものを書けるような時機に到達している立場から、これまでの数年間を省ると、あながちそれらの人達の考えるような消極的な意味だけが過去の活動から汲取られるとは思わない。また現実的に作家の本質的な発展の問題に触れてこれを見れば、決して消極的な意味を歴史上に持っていたのでもなかったのである。
大体、作家とその実際生活との関係は非常に微妙で、興味尽ぬものがあると思う。例えば私なら私という一人の婦人作家が、最近の三四年間における日本の複雑きわまる急速な状勢の移り変りにつれて実際生活の上で経験した事柄というものは、その内容をみると時間では計ることの出来ない程多く深いものを与えている。
それならば、どう…