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黄村先生言行録
おうそんせんせいげんこうろく
作品ID287
著者太宰 治
文字遣い新字新仮名
底本 「太宰治全集5」 ちくま文庫、筑摩書房
1989(昭和64)年1月31日
初出「文学界」1943(昭和18)年1月
入力者柴田卓治
校正者しず
公開 / 更新2000-05-02 / 2014-09-17
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

(はじめに、黄村先生が山椒魚に凝って大損をした話をお知らせしましょう。逸事の多い人ですから、これからも時々、こうして御紹介したいと思います。三つ、四つと紹介をしているうちに、読者にも、黄村先生の人格の全貌が自然とおわかりになるだろうと思われますから、先生に就いての抽象的な解説は、いまは避けたいと思います。)
 黄村先生が、山椒魚なんて変なものに凝りはじめた事に就いては、私にも多少の責在りとせざるを得ない。早春の或る日、黄村先生はれいのハンチング(ばかに派手な格子縞のハンチングであるが、先生には少しも似合わない。私は見かねて、およしになったらどうですか、と失礼をもかえりみず言った事があるが、その時先生は、私も前からそう思っている、と重く首肯せられたが、いまだにおよしにならない)そのハンチングを、若者らしくあみだにかぶって私の家へ遊びに来て、それから、家のすぐ近くの井の頭公園に一緒に出かけて、私はこんな時、いつも残念に思うのだが、先生は少しも風流ではないのである。私は、よほど以前からその事を看破していたのであるが、
「先生、梅。」私は、花を指差す。
「ああ、梅。」ろくに見もせず、相槌を打つ。
「やっぱり梅は、紅梅よりもこんな白梅のほうがいいようですね。」
「いいものだ。」すたすた行き過ぎようとなさる。私は追いかけて、
「先生、花はおきらいですか。」
「たいへん好きだ。」
 けれども、私は看破している。先生には、みじんも風流心が無いのである。公園を散歩しても、ただすたすた歩いて、梅にも柳にも振向かず、そうして時々、「美人だね。」などと、けしからぬ事を私に囁く。すれちがう女にだけは、ばかに目が早いのである。私は、にがにがしくてたまらない。
「美人じゃありませんよ。」
「そうかね、二八と見えたが。」
 呆れるばかりである。
「疲れたね、休もうか。」
「そうですね。向うの茶店は、見はらしがよくていいだろうと思うんですけど。」
「同じ事だよ。近いほうがいい。」
 一ばん近くの汚い茶店にのこのこはいって行って、腰をおろす。
「何か、たべたいね。」
「そうですね。甘酒かおしるこか。」
「何か、たべたいね。」
「さあ、ほかに何も、おいしいものなんて、ないでしょう?」
「親子どんぶりのようなものが、ないだろうか。」老人の癖に大食なのである。
 私は赤面するばかりである。先生は、親子どんぶり。私は、おしるこ。たべ終って、
「どんぶりも大きいし、ごはんの量も多いね。」
「でも、まずかったでしょう?」
「まずいね。」
 また立ち上って、すたすた歩く。先生には、少しも落ちつきがない。中の島の水族館にはいる。
「先生、見事な緋鯉でしょう?」
「見事だね。」すぐ次にうつる。
「先生、これ鮎。やっぱり姿がいいですね。」
「ああ、泳いでるね。」次にうつる。少しも見ていない。
「こんどは鰻です。面…

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