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マクシム・ゴーリキイによって描かれた婦人
マクシム・ゴーリキイによってえがかれたふじん
作品ID2877
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十巻」 新日本出版社
1980(昭和55)年12月20日
初出「文学評論」1936(昭和11)年8月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-02-21 / 2014-09-17
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 人間と人間との遭遇の中には、それを時間的に考えて見るとごく短い間の出来事であり、その間にとり交された言葉や眼ざしなどが僅かなものであっても、ある人の生涯にとって非常に意味の深い結果や教訓をもたらすことがある。私が、マクシム・ゴーリキイに一度会ったということは、その当時には却って理解していなかった彼の芸術的生涯を理解するための生々とした鍵となっていることが、ゴーリキイの亡くなった今日はっきり感じられる。
 既に知られている通り、ゴーリキイは一九二三年にレーニンにすすめられて、イタリーへ持病の肺療法に行った。その時分ゴーリキイは回想の中にも書いている通り、当時のソヴェト同盟の政策に全部的な同感を持つことが出来ず、急進的なインテリゲンツィアを中心とする『新生活』という雑誌を編輯してレーニンに対するブルジョア世界のデマゴギーに対して闘いつつも、一方彼の政策に対して必ずしも一致はしていない自身の見解をも披瀝していたから、このイタリー行はさまざまの風評を生んだ。レーニンはそれらの悪意から発せられる風評に対して、ロシアの大衆とゴーリキイとの正当な関係を明らかに声明した。
 それから五年目で一九二八年、ゴーリキイが再びソヴェト同盟に帰って来るというのである。いろいろの点からこの出来事は世界の視聴を集めた。ソヴェト同盟の大衆は、イタリーにいた五年の間にゴーリキイが、故国で行われている新しい建設に対して絶間ない注意を払い、その文筆活動を通してソヴェト同盟の建設の意味を世界に向って語っていたことを知ってはいる。しかし、彼等が必死の努力で日々を過した五年、その五年をゴーリキイはイタリーにいたということは、イタリーという土地が伝統的にわれわれの心に反映させる一種の遊園地めいた先入感の関係もあって、何だかゴーリキイに対して、うちのものではあるが久しく会わない中に、この新しく変ったうちを、帰って来てどう見るであろうかというような気分が一般にある期待と好奇心とを呼び起した。
 この期待と好奇心とは、資本主義国の古い感情にも違った内容をとって現れた。ゴーリキイは偉大な芸術家である、レーニンをも恐れなかった、だからレーニンは正直なゴーリキイの声を恐れてイタリーへやったのであった。そう考えている彼等は、今度ゴーリキイがソヴェトへ帰って何を見るか、そして何を云うか、終局に自分自身をどう処置するか、ということを貪慾な目つきで見守っていた。彼等が見出そうと欲したのは五年目に見るソヴェトに対するゴーリキイの失望と、偉大な声楽家シャリアピンが金の儲からぬロシアを捨てて、しかも古いロシアの嘆きの唱を歌いつつ稼いでいるように、ソヴェトを見限るであろうということであった。
 一方ソヴェト同盟ではゴーリキイが帰って来ることが決定すると同時に、最も広汎な規模でその歓迎の準備を始めた。ゴーリキイに関する特別な展覧会…

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